2020.01.05

京女の初詣。千年の都に暮らせることに感謝しつつ。

「今年も、ちゃんとおまいりに来れました。おおきにです。もうちょっと、ここに住まわしてもらいますんで見守ってやってください。よろしゅうお願いします。」私の初詣はご近所の京都五条かいわい。平安京の頃から凛とたたずむ神社仏閣に何かをお願いするなどおこがましく、ごあいさつと日々の暮らしのお礼をさせてもらいました。

元旦、恒例の清水寺朝ウォークで初詣。朝5時半発、真っ暗ななか五条通を東へ進むと、五条陸橋あたりにあるのは「若宮八幡宮社」。言わずと知れた8月の五条坂陶器まつりの「陶器神社」。平安時代に御冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)の命により源氏の大将が六条かいわいに創建したものの、応仁の乱で荒廃。その御1605年にこの地に移されたものとか。「若宮」やから八幡の石清水八幡宮から迎えはったのかな。陶器の神様はずーっと後の1949年にまつられたもの。さらにここには、神功皇后(じんぐうこうごう)さんという、美人と子育ての神様がまつられて、美人祈願の神社でもあります。。。いやー、今更祈願しても神さんも困らはるやろし、やはり「おおきに、また陶器まつりに寄せてもらいます」と謙虚に。

若宮八幡宮社を過ぎて五条坂をのぼって清水寺へ。元日の朝、あたりは真っ暗なのに奥の本堂からはたくさんの話し声。初詣の人たちであふれかえっているようです。ごくろうさまです。

日々の朝ウォーク同様に、清水寺境内入口、仁王門あたりの腰掛で一休みして折り返し。八坂の塔を過ぎて松原通を西へ進み、烏丸通の手前にあるのが「平等寺」(びょうどうじ)。ご本尊が薬師如来で、「因幡堂」(いなばどう)、「因幡薬師」(いなばやくし)として親しまれています。

約1000年前、橘なにがしの中納言さんが、村上天皇の命を受けて出かけた因幡(現鳥取)で急病に。夢枕に現れた僧から、海の浮き木を供養しろとのお告げを受けて引き上げたら薬師如来。お寺にまつって快癒し無事帰京。そののちに薬師如来さんが京の中納言宅を訪ねてこられて「因幡堂」に改造して安置。天皇さんや平安京の人々も「薬師もうで」されたという由緒正しきお堂。数年前には、ツレアイの車椅子を押して寄せてもらいました。感謝ともうしばらく私もこの地でご厄介になりますよとご報告。

西洞院通(にしのとおいんどおり)と松原通との角にあるのが「五條天神社(宮)」。ここはさらに古く西暦800年頃の建立。弘法大師(空海)が開基したと言われる古社。天照大神(あまてらすおおみかみ)などがまつられていて、古くから農耕、医薬の神として信仰されていたとか。松原通が昔は五条通で、源義経と弁慶が出会った場所とも言われています。京都駅から衣笠方面へのバス停前にマンションに囲まれて見過ごしてしまいがちですが、長い長い歴史をまえにして何かをお願いするなどとても恐れ多く、ここにあるだけでありがたい気がします。

そして菅原道真公(すがわらみちざねこう)をおまつりする「菅大臣神社」(かんだいじんじんじゃ)通称「菅大臣天満宮」。ずいぶん前に同名の者が総理大臣になった時ちょっと騒がれましたが、それがどうしたって感じで、表の通りからはとても見つけられないようなところに立地しています。本殿は1869年(明治2年)に下鴨神社から移築されたものですが、もとは約1000年前の道真公誕生の地・邸宅の跡地で、道真公が福岡の大宰府に左遷される前に詠んだ「東風吹かば  匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」の飛梅の地でもあります。まだ固い梅のつぼみですが、春の訪れとともに香しく可愛い花を見せてくれるでしょう。

いずれ劣らぬ歴史の重み。この地に暮らせる幸せに感謝し「今年も見守っててくださいね」とお願いした初詣ウォーク。つながる人たちといっしょに、2020年も楽しい年にしたいものです。