2021.06.12

京都・小倉山二尊院、青もみじのトンネル~ひとり静かにお散歩

京都嵐山、百人一首にも詠われた小倉山のふもとの二尊院(にそんいん)。まっすぐに伸びた参道の青もみじ。

何十年ぶりかの二尊院。3回目のコロナ緊宣に突入したGW。今こそ「静寂」に包まれたい、とお出かけしてみました。総門をくぐると・・・

約100m続く青もみじのトンネル。モミジとサクラが交互に植えられた「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は、秋には紅葉の名所に。そして今はさわやかなグリーン一色。

初々しい緑色。静かな境内。

小倉山の額のある勅使門。奥に見えるのが本堂。

二尊院はその名の通り、「釈迦如来」と「阿弥陀如来」の二尊を祀る寺院。開創は約1200年前、嵯峨天皇の勅願により慈覚大師が建立したと解説されています。明治維新までは天台宗・真言宗・律宗・浄土宗の四宗兼学の道場だったとか。明治以降は天台宗。鎌倉時代の初期には、法然上人が二尊院に住んで法を説かれたので、多くの信望を集めて栄華を迎えたお寺、と説明されています。約5万坪の境内・・って、よーわからんけど、爽やかな晴れの日だったのでちょっと境内を歩いてみようと、「法然上人廟」への誘導の矢印に沿ってスタートしてみると、お墓がたくさん。すぐに目についたのが田村さんちのお墓・・阪東妻三郎・田村高広さん親子のお名前。この時は田村正和さんの訃報は公表されてなかったけど既に亡くなってはったんやねぇ。さらに歩くと角倉了以のお墓も。角倉了以と言えば京都の高瀬川や大堰川(桂川)を開削した豪商。で、この二尊院入り口の総門を伏見城から移築・寄進した人でもあるんですって。さらにさらに三条西家だの鷹司家だのと続くお墓。歴史のお墓ツアーに来たわけでは無いんやけどなぁ。歩いてる人誰もいーひんし迷路に迷い込んでしまったようで、引き返そうかしら、と不安になった頃にようやく見えてきたのが法然上人廟。〔法然の分骨が納められているとされる。第三世住持の湛空上人(たんくうしょうにん)の碑も祀られてて湛空上人廟でもあるらし〕。

ここまでたどり着いたことに手を合わせました。京都の魔界はあなどれん。さらに100mほど小倉山を登ると京都市内が一望できるスポットですよ、と案内されてたけどもうヘロヘロ状態だったのでパス。さて帰り道、そこでようやく下りの石段があることに気が付いて。下から登ってくる人もあり。あれ、もしかして・・と石段を下りきると到着したのは本堂の横。あらまっ、迷路でも魔界でもなく下から見えてたんや。そういえば入り口でパンフをもらったよーな、とカバンから取り出すと境内図がしっかり掲載されていました。へへへっ。

振り返って写真をパチリ。木々に囲まれた法然上人廟。こんなに近かったんやぁ。けどまぁ、約5万坪の広い境内、1200年の歴史なんかもちょっと実感できて、なんかご利益ありそーな。あっ、違った、お寺やった。

二尊院・本堂の裏、小倉山の斜面の六道・六地蔵の庭。地獄道のお地蔵様のまわりにはシャガのお花が。

20代の頃、ツレアイがツレアイになる前に撮った写真。ぼけ具合も昭和レトロ。それにしてもちょっと勝負かけてる感でいじらしい。お寺は変わらんし。今生き残ってるのは、私と手に持つ風車。二尊院門前の土産屋さんで買うたやつ。コロナ自粛中、静かに青もみじのお寺で在りし日をしのぶ。なんだか尼さんにでもなったような、そんな気分でした。