アンディ・ウォーホル・キョウト~京都市京セラ美術館
日本初公開の「三つのマリリン」。去年の秋から京都市内あちこちで目にしたポスターも、もうすぐ終了。9月から京都市京セラ美術館だけで開催されてた、ウォーホル大回顧展。
先日、Eテレ番組でウォーホル展の解説を聞いて、京セラ美の冬コレクション展にお出かけしたんで、ついでにもう一回観とこかな、なーんて少々甘かったみたい。今や若い人や外国の人らで大賑わい。コロナ制限解除され押し寄せる京都旅の一つの目的地にもなってるよーな。さすが文化庁京都移転の手土産展、ワールドワイド。京都オンリーなら行かねばととりあえず10月に出かけた時に、へぇ~そーなんやー、くらいの気持ちで撮ったスマホ写真。1928年生から画家・版画家・芸術家、ポップアートの旗手として58年の人生を駆け抜けたウォーホルを、ちょっとご紹介。
有名な「キャンベル・スープ」。裕福な家庭ではなかったウォーホルが毎日食べてたスープ缶。大量生産品でスーパーに行けば誰でも手に入る。誰でもどんな人でもこのスープを口にできて、平等にこの世界を味わって生きていける、と。1950年代のニューヨークで、大衆消費社会を意識して挑発的な作品を発表し続けたウォーホル。・・僕について知りたければ表面だけを見ればいい。裏側には何もないから・・。1960年代に入ると暗い影が忍び寄るニューヨーク。失業率の上昇、ケネディ大統領の暗殺も。
マリリンはウォーホルのあこがれ。1962年、死去の知らせを聞いてからモンローをモチーフにした作品を作り続け、その数50点以上。版画の一種のシルクスクリーンで大量生産。当時の美術界、絵画は画家が一枚ずつ手書きするもので大量生産なんてありえないと批判のなか、一方では、おかげで富裕層だけでなくたくさんの人たちも見て親しむことができると、その大衆性が評価されたりも。ファクトリーで美を大量生産しビジネス化したウォーホル。
「ダブルエルビス」。
さまざまな著名人の肖像も。例えば三つのマリリン、インクを何度ものせたり力の加減やインクの色を変えることで、全然違った印象の作品が生まれるシルクスクリーン技法。さらに、60年代アメリカの公民権運動、人種差別の撤廃を訴えて戦った人たち、それを抑え込む人たち。政治や社会問題を語ったこともないウォーホルはしかし、社会で何が起こっているかも作品に残している。新聞に掲載された人種暴動の写真を、シルクスクリーンで青一色や赤一色の作品に仕立てる。イメージが脳に焼き付くよーな・・それが狙い、とも。今回の展示でも、部屋にポツンと置かれた電気椅子の写真が、色を変えたバージョンで数枚あったけど、つい、映画観ぃーひんかったらよかったと今も後悔しつづける名作、ダンサー・イン・ザ・ダークの、理不尽への怒りと死刑の恐怖を思い出してしまった。こーいうの思い出させるんが狙いとしたら、目的達成なん?。さすがにちょっとキツくて写真には撮れんかった。
「ツナ缶の惨事」。スーパーのツナ缶に含まれていたボツリヌス菌にあたって主婦2人が死亡した事件。たくさん販売されてるパッケージ食品の安全性の神話が崩れた。食べることは死と隣り合わせ、を見せる。狙撃されて死に直面したこともあるウォーホルは交通事故や自殺など、新聞で報道される死を主題にした「死と惨事」のシリーズ作品も制作。
「最後の晩餐」。亡くなる前の年に描かれた大作には、裏切りのユダは描かれずに穏やかな表情のキリストが4つ。Cは病気のこと、とか、上を指さす弟子の姿は罪を犯して病気になったウォーホル自身の無罪を訴えている、とも。自らの病への恐怖や救いへの思いがあるのでは、と読みとかれることもあるらし。ポップアートのポップさはどこへやら。社会性たっぷり作品の展覧会。
1956年にウォーホルが初めて京都を訪れたときのスケッチ、清水寺。優しいスケッチやなぁ。この頃が一番心穏やかだったんかも。1200年の歴史を繋ぐ清水寺の観音さんの癒しもあったんかな。(雪の清水寺ブログでスケッチの場所紹介)
おっと、ビックリ! アンディ・ウォーホルが「徹子の部屋」に、って、何年やってはんねやろ徹子さん、スゴッ!!。会場に展示されてた小さな小さな写真を拡大したらボケ―っとなっちゃったけど。私は徹子さんより長生きできるんやろか。いや~、別バージョンで・・ちょっと感動でした。