不気味な女子絵が癖になる・甲斐庄楠音~京都国立近代美術館コレクション展
甲斐庄楠音(かいのしょうただおと)。楠=ただ・・は読めんので、甲斐庄の絵ぇ~や、って美術館で見つけたらちょっとワクワクする。日本画家1894~1978年(漢字は庄も荘もあるみたい)。生誕130年展、国近美のコレクションギャラリーで開催。カメラOK。生誕140年の竹久夢二展もカメラOKで隣に展示。太っ腹。2年前の国近美、甲斐庄楠音の全貌、と題した企画展はカメラNGやった。京セラ美も時々しはるけど、コレクション展だけシレッと撮らせてくれはる。こんなもんで良かったら的な。。ほんま京の美術館イケズ。好きやわ~。
《横櫛(よこぐし)》1916年。縦に櫛を挿して・・横櫛。咲き誇る牡丹を背にした微笑。兄嫁をモデルに描いたらし。歌舞伎『処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)』を観劇した後に、主人公・・愛する男のために強請りや殺しに手を染めた「切られお富」・・をまねたポーズでモナ・リザのほほえみの兄嫁、とか。目のまわりの影が日本画的でないせいか、ほほえみが薄気味悪い。ずいぶん前、ホラー賞とらはった短編本『ぼっけえ、きょうてえ』の表紙にもなってた。こわ~いお話集だった気がする。
《舞う》1921年。う~ん、カメラうれしけど、ガラスに嫌がらせのよーに後ろの展示物が映り込む。残念やしカードを貼り付け。
左は《幻覚〈踊る女》》1920年頃。不気味系の代表作。似た構図のを並べると、右側の舞う女も正気かどうか疑わしい。さらに・・
《春宵(花びら)》1920年。 春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)ってくらい春の宵はすばらしいはずやのに、お題とあってへんやん。けど、業務用やない素の太夫って、案外こんなんかも。グロテスクもオンナの内面。甲斐庄は日本画家・岡本神草(おかもとしんそう)らとエロ・グロの最先端を歩んだことも。けどやっぱ日本画界ですんなりとはいかず、シュッとした美人画の土田麦僊(つちだばくせん)からは「穢い(きたない)絵」と展示会出展を拒否られた絵もあるとか。
《遊女》1915年頃。普通に女子画。普通・・でもないか。ちょっとうつむきがちに、疲れた感がにじみ出てる。嫌~なお座敷やったんや。
《桂川の場へ》1915年。甲斐庄は明治27年の京都に、江戸時代に裕福な武士の家系で生まれた。京都市立美術工芸学校時代は竹内来栖(たけうちせいほう)から教わったことも。幼少から歌舞伎やお芝居も大好きで、観たり描いたり自ら演じたり。のちには映画界へ転身した。絵の女子らも、ただのモデルやなくて感情を持つオンナ、としてしっかり描きたかったんかも。見どころあるやつやん、と女子的には思う。
《秋心》1917年。何かを期待してるよーなちょっと妖艶、ワクワク感も見える。去年の人と違う~♪・・新しい待ち人が来るのかも。えぇなぁ。。。
《毛抜》1915年頃。甲斐庄は女形に扮することもあったらし。自分を描いてるとも言われてる。う~ん、私にはただの少年にしか見えん。
《籐椅子に凭れる女》 1931年頃。形だけでなくて香りや動きをもとらえよーとしていたらし。マダムの白い肌が透け見え。
「《虹のかけ橋(七妍)》1915~1976年。デッカイ屏風絵。映画界で活躍しつつも絵画からも離れられず、青年期から晩期まで制作し続けた大作。女性ごとに違う色柄の着物がきらびやかで美しい。京都太秦の映画撮影所で、時代劇の衣裳考証などを手がけた成果やとも。七色の虹やん、と、楽しいとこで終わった方がえぇのかも。
《畜生塚》1915年頃。なんなんや、この絵。実はコレクション展入ってすぐ目につくポジションに、デーンと鎮座。デッカイ、しかも未完。カメラやめよかな思たけど、これも甲斐庄なんや思て。。。畜生塚とは、京都の瑞泉寺内にある塚で、豊臣秀吉が養子秀次を自害させ、幼児、妻妾約30人をともに処刑して三条河原に埋めたもの。これは処刑を待つ女性たちが描かれてるらし。残虐さがオゾマシイ。劇中やったらまだしも、屏風に描くか。そりゃ、筆、進めへんやろ。
ついでに、資料ケースに入ってた、「《畜生塚》の前でポーズする甲斐庄」。本人もとりあえず大作がんばったし記録に残したかったんかも・・ってか、女装??
お目直しに、雪の平安神宮大鳥居と京セラ美。国近美からのショット。コレクション展も入れ替えあんねやとお出かけ。カードで紹介した、幻覚の踊る女子、もしっかり鑑賞したよ~ん。甲斐庄って国近美と京セラ美くらいにしかないらしし、これでほぼ完ぺき。京女の知ったかぶりリスト、イッチョあがり。