2023.06.29

京都・智積院、宝物館リニューアル。長谷川等伯・国宝の障壁画を心ゆくまで。

京都市東山区、智積院(ちしゃくいん)・・・と言えば、長谷川等伯(はせがわとうはく)一門による、国宝の障壁画たっぷり、のお寺。

例えば、こんな。。国宝「楓図(かえでず)」。桃山時代。等伯その人の作とされる一番有名なやつの部分。ポストカード写真でゴメン。

緑はやっぱ絵になるねぇ。春先は梅の花ストリートやった。正面は金堂(こんどう)。智積院は弘法大師・空海から始まる真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)の総本山。そもそもは紀州根来寺(きしゅうねごろじ)の智積院。豊臣秀吉との対立に敗れて逃れてきたのを徳川家康が土地を寄進して寺の再興を助けた、とか。家康が与えたこの場所は、秀吉を祀る豊国神社(とよくにじんじゃ)の境内。がしかし明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の波で金堂焼失。現金堂は昭和50年建立、ってなこともあって、私の智積院の押しは等伯オンリー。言うても歴史は浅く一昨年の正月頃から。コロナ禍で旅に出られへんし京都カルチャーでもしょーかと最初にお出かけしたんがここ。日本画は美術館で見るもんや思てたら、大好きな等伯の障壁画、山積み。山積みは失礼やけど、ちょっとちゃっち目な宝物館に国宝が押し込まれててビックリ。しかも特別公開は堂本印象(どうもといんしょう)作の襖絵やらで800円。等伯一門の国宝数点は500円で常設、いつでもどうぞ、って、あらまぁ。。。

その時の案内板がこれ。ちょっと解読不能ちゃぁう?。まぁ、国宝がお手軽に見れるってえぇやん、とそれから何度か宝物館通てたら、東京へ出張しはった。で、留守の間に宝物館リニューアルされて今日に至る、です。いやー、さすが京都のお寺、工事中の保管場所は東京の美術館やて。近所の六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)もそーやった。東京国博から帰ってきはった空也上人(くうやしょうにん)も今、新しい宝物館でくつろいではる。輸送費ももちろん美術館持ちなんやろね。京都のお寺ビジネス、ナイスっ!

ともあれ、智積院の新宝物館。500円。館内カメラNGにつき。

等伯の「楓図」(写真上)、「松に秋草図」(写真下右)、「松に黄蜀葵図(とろろあおいず)」(写真下左)。写真無いけど息子・久蔵の「桜図」・・大作描き上げて程なく早世しはったんや。悲しい物語。狩野派の妬み殺害なんて説もある。そして「雪松図」。豪華絢爛な桃山文化の息吹。ぜーんぶ国宝。ちなみに黄蜀葵・・トロロアオイ、和紙づくりに欠かせへん「つなぎ」や、と福井旅で越前和紙をすいてはった熟練職人さんに教えてもーてから、心に刻まれた花。

突然やけど・・・トロロアオイ。嵐山の福田美術館所蔵、速水御舟(はやみぎょしゅう)作「露潤(ろじゅん)」。薄明りの中、黄蜀葵の蜜を吸うクロアゲハ。こんなん思い出しながら、等伯の黄蜀葵は見え方も描き方も違うんやなぁ、などとうっとり。新宝物館、新たに座れるスペース作ってくれはって長居したなる。けど障壁画数点だけやし、等伯なんぞに興味ない人は見るとこなし。とっとと出て行ってくれると、京女は・・とてもうれしい。

智積院、もうひとつの見どころは、講堂から見る庭園。

 

「利休好みの庭」と伝えられるこの庭園は、秀吉が建立した祥雲禅寺(しょううんぜんじ・智積院の前身のお寺)時代に原形が造られてる。中国の盧山(ろざん)をかたどってるらしけど、廬山知らんのでよーわからん。池は縁の下まで入り込んでるし開放的な空間なんで、縁に座ってゆっくりお庭鑑賞もオツ。講堂はかつての方丈で焼失を繰り返し、平成7年建立されたもの。

庭から室内に目を移すと、平成20年に奉納された、田渕俊夫画伯の襖絵ズラーリ。等伯一門のオマージュ的な。ちょっとキラキラし過ぎてて落ち着かへんけど、等伯が描いた当時もこんなハデ感たっぷりやったんやろね。なんせ秀吉の発注やし。時を経てシックな味わいになった障壁画はステキやけど、等伯はやっぱ水墨画がえーよねぇ。最初好きになったんも、国宝の松林図(しょうりんず)ではなかったけど、水墨画の竹林や猿とか・・出光美術館やったかなぁ、しかも九州門司の。ハハハっ、何がなんやら。等伯の絵は京都のお寺あちこちに散らばってるみたいやし、また、会えるの楽しみやわ。

講堂・名勝庭園への出入り口、緑がキレイ。宝物館や庭園は朝9時からやけど、境内は早朝OK。時々は早朝ウォークのコースにさせてもーてます。距離的には清水寺とほぼいっしょやし。

豊国神社前の「松山」で他人丼ランチとB。こういうお店、少ななったねぇ。卵で隠れてるけど、肉、ちょっと少ない目やった。原材料高なってるししょうないね。お店つぶれんといてやー、と願いつつ。ごちそうさまでした。