2022.07.31

京都・永観堂、夏。青もみじと苔庭に魅せられて

おぉ~~、素晴らしい。まさに、苔むす庭。京都市左京区、永観堂(えいかんどう)。梅雨明けから久しく、さらに、猛暑が続く京都で、こんなにも、みずみずしい苔庭に出会えるとは。しかも、落ち葉のひとつも見当たらへんほど、手入れが行き届いてる。ビックリ。

まず、地下鉄の駅から、お隣の南禅寺を通り抜けて、永観堂へ。受付のある中門の前。苔が、結構キレイに手入れされてるやん、とパチリ。コロナ急増の昨今、ご近所やけど祇園祭の後祭巡行はやっぱりパスし、他府県への遠出もあきらめて、世間の夏休み期間は、ひとり静かにお寺ウロウロを復活。真夏やし、葉っぱグリーンも夏バテなら、仏像カルチャーでもするかなぁ、と思いつつ。

境内には、さっそく、池と苔と青もみじのショット。ここの苔もキレイや。さすが京都のお寺、手入れバッチシ。

方丈池(ほうじょういけ)と、左上にちょこっと見えてるんが多宝塔(たほうとう)。さすがに、背景の東山は強い日差しを受けてちょい深緑。池のまわりの緑はうるおいたっぷり。

池にはハスが旬。

池から流れる小川のしつらえも、風情。

どこもかしこも、手入れが行き届いた、青もみじと苔。

そして極めつけ、阿弥陀堂前にはすっぽりと岩を包み込む苔。梅雨どきのよーな、しっとり感にも、感動。永観堂がこんなお庭持ってはるとは・・知らんかった。実は、私にとって永観堂と言えば、お隣にある永観堂幼稚園。通ってたんやなくて、京都府庁勤務の20代の頃、私立学校振興で幼稚園補助金なんぞを担当してたもんで、お寺というより幼稚園の運営母体って認識のまま今日に至る、でした。そもそも永観堂、正式には、禅林寺(ぜんりんじ)。浄土宗西山禅林寺派の総本山。平安初期の853年に空海の弟子によって、真言宗の道場として建立されたのが始まりとか。1072年、第7世永観律師(ようかんりっし)が、本尊を大日如来から阿弥陀如来とし、徐々に浄土念仏道場へと変わり、その後、浄土宗の寺院となったらし。永観律師は、境内に施療院を建てたり、恵まれない人々のために奔走。律師を慕う人々によって、禅林寺はいつしか永観堂と呼ばれるようになった、とさ。40年越しでカルチャー。さらに、古くより「秋はもみじの永観堂」と呼ばれる紅葉の名所だったとも。あらまぁ、京都観光にも全然疎いんやん、私。

石段を登ると阿弥陀堂。ここにも、もみじ群。

御影堂のもみじは、さらにすばらしい。。。こりゃ、秋は大変やなぁ。

臥龍廊(がりゅうろう)。山の斜面に沿ってつくられた廊下を登ると、開山堂。龍のカラダの中を歩いてるよーな気分。

多宝塔からは京都が見わたせる。

釈迦堂の窓越しに見る青もみじ。ちなみに、阿弥陀堂のご本尊は「みかえり阿弥陀」。カラダは正面を向き、首を左にかしげて、横を向いてはる。「永観、おそし」と呼びかけてはる姿とも。・・偉い阿弥陀さんやのに、とっとと一人で突き進まんと、ハタと止まって、後ろから来る永観に向かって、「永観、アンタ、遅いでー、大丈夫かー」言うて気づかわはった、言うことかな・・自分よりおくれる者たちを待つ姿勢、なんやて。いろんな仏像があるんやねぇ。勉強さしてもらいました。

ところで、永観堂と南禅寺の間には、私立の中学・高等学校の学校法人があって、その昔には指導検査なるものにも同行。お昼、当時見たこともないよーな豪華な京弁当出てきたなぁ・・もう時効やろか。だって、当時、お昼ご飯は普通で上司も食べてたもーん。また、とある学校では、男子生徒に「ねぇちゃん、何しに来たん」と言われて。野球の強豪校でしつけ厳しく、「こらっ、おまえ、何年何組や」と私らを案内してくれてた先生が、即振り向いて生徒を糾弾。私はというと、「おばちゃん」やなくて良かった~と呑気にニヤついてたものの、思わず笑いを引っ込めた、なんてことも。真面目に仕事一筋やったし(笑)、京都の観光事情は、これからじっくり学ぶことにしよーっと。