京都綾部を描き続けた、幻の画家「有道佐一」展~京都市京セラ美術館
故郷、京都綾部の山家(やまが)に住み、自然豊かな四季の風景をひたすら描き続けた画家・有道佐一(ありみちさいち)1896-1983年。へぇ~、京都にも郷土の画家さんっていはったんやー。どんなん描いてはったんやろ。去年の夏、京都市京セラ美術館で没後40年の回顧展やってはった。JR山陰本線には山家駅あるし、京都から丹後方面への国道27号は山家地域を走り抜けるしで、山家にはちょっとなじみあり。興味シンシン。カメラOK。
《山家村》1940年。由良川かな。緑とブルーが気持ちえぇ。右上にちょっと見えるんは民家みたい。下の方には細~く、橋。
《由良川上流の朝》1940年。ところどころにピンク。桜やね。山里によーやくおとずれた春、的な。
「回顧展が1.5倍おもしろくなる解説」ってのが展示物の横にときどき貼られてる。上の絵、よー見たら田すきをしている牛がいるらし。近づいて見てかろうじて牛さん発見。日常の風景が細部までしっかり描き込まれてる、こと確認したら、やっぱちょっと離れて眺めたい風景画。
《不動渓の桜》1942年。春たけなわ。桜満開。若芽も出てき始めた。
《不動渓の夏》1968年。上林川。豊かな緑の渓谷美。このあたりは植林が少なく雑木林やから、四季折々の装いが美しいと解説。
《山村の秋 上原》1950年。秋色の景色。佐一が画室2階のドアを開けて描いた、上原の里。JRからも見ていそーな風景。雪景色のもあって・・
《山村の雪》1937年。このへんは典型的な河岸段丘(かがんだんきゅう)・・平坦な部分と傾斜が急な崖とが交互に現れる地形。山は大きいけど、里や耕地は狭~い。
《城山の雪》1938年。雪景色をもう一つ。寒々しいけどあったかい感。
《由良川の瀬1》1940年。山家を流れる母なる川。穏やかだったり時には荒々しく。。。それにしても、山家、やまが、ヤマガがいっぱい。ものスゴ、好きやったんやー。山家の空、山、木々、葉っぱ一枚まで、そして川、さらに狭い耕地で農業に励む人々の暮らしなど日々移り変わる景色を、一瞬たりとも逃すものかとでも言うよーに、描き続けてはる。その気持ちわかるぅ~~。列車でもバスでも乗ったらずーっと外の景色見続ける私。新幹線で小倉行くときも東京行くときも。昔は本も読んでたんやで。けど、もったいなくて。特に西日本旅好きやから何度も見てる景色やのに、今日は緑がえぇなぁ、雨上がりの川はちょっと荒々しなぁ・・などといっつも見るたび発見したり感動したり。ほんまに目が離せへんでっせ。
有道佐一。綾部に生まれて18歳から画家の道。39歳で1年間パリへ。ルーブル美術学院に在籍し、パリを中心にドイツ、ベルギー、オランダ等まわって写生したり。パリでの写生中に、彫刻家アルベルト・ジャコメッティに見いだされ、アンリ・マティスらも入ってる会への絵画出展もしたとか。
ジャコメッティを描いた絵も。《巴里サンミッシェル脇志那料理 天津にて 美術評論家 ジャコメチー》1936年。ひょろっと細長い彫刻で有名な、あのジャコメッティですよ。さすがパリ。
《巴里セーヌ サンミッシェル橋》1936年。パリ滞在中も精力的に油絵や水彩画を制作。パリ滞在は1年。帰国後は、画壇の第一線での活動を拒み、故郷に戻って、自分の思いを尽くした絵・・ひたすら丹波の自然を描き続けたんやて。享年87歳まで50年弱。かえって、スゴイ! そのココロは・・
昭和15年(1940年)3月有道会発行「石ころ」第一号への掲載文。石ころひとつ見ても、楽しそーや。
アトリエ再現。キレイ。パレットに絵具が残ったままになってることもなかったとか。環境も暮らしも、そして自分も。隅々まで大切にしてはったんや、って気がする。
布袋さん、ダルマさん、七福神、愛嬌あってえぇやん。心、おだやかにもなる。
佐一が13歳の時に作った「修学旅行記」3冊。京都園部から京阪神、平安神宮、大阪城、造幣局やらへ。地図あり絵あり。どんな13歳やねん。ほんま生涯、「自適の人」やったんやね。こんな人が京都にもいはったんや。京都市以外の情報てなかなか表にでてこーへんけど、カルチャーできてほんま良かったです。