大分県・両子寺の仁王さん、カッコえぇ~京女のひとり旅77
あっ、言うてはるし、阿形(あぎょう)像。両子寺(ふたごじ)は、大分県、国東半島(くにさきはんとう)の真ん中あたり。仁王さんは国東半島のイメージキャラクター。
紅葉の朝日を背にして、まさに仁王立ち。対になってるんで、左側には、吽形(うんぎょう)像。
阿吽=あうん。石造仁王は全国に分布してるけど、その数は大分県が圧倒的に多いらし。特に国東半島には、130を超える仁王が確認されているとか。中でも最大規模の2m越え。お寺や神社を守る目的で造られた仁王。鎌倉期に始まり安土桃山期が最盛。両子寺の仁王さんは1814年の江戸期造で、この頃になると村や個人の信仰の対象だったらし。
国東・六郷満山(ろくごうまんざん)です。両子寺は天台寺院。国東半島のほぼ中央に位置する両子山から放射線状に、約28の谷が海岸へと広がってて、それを六の里に分けて、六郷。この地に開かれた天台宗の寺院全体を総称して、六郷満山。日本の天台宗の開祖・最澄とのかかわりは・・国東半島はかつて、中国や朝鮮半島など大陸と日本列島を結ぶ重要な交通上の要衝。遣隋使や遣唐使の時代には、大陸から瀬戸内海を経由して奈良や京都の都に戻る際の寄港地。桓武天皇から遣唐使に任命された最澄は、暴風雨で九州に足止め。その際に航海安全を近くの宇佐神宮に祈願。宇佐神宮と言えば全国八幡宮の総本社。おかげで無事に中国仏教の教えを持ち帰った最澄は、お礼に仏具や経典を宇佐神宮に奉納。以来、宇佐神宮は仏教を庇護して、国東の天台寺院にも力添え。神仏習合の発祥の地になるとともに、独特の六郷満山仏教文化圏が開花やて。国東あっての、最澄や比叡山ってことやね。いやぁ~ブログ書くと勉強なるわ。そんなこととはつゆ知らず、ちょこちょこ熊野磨崖仏、富貴寺の国宝の大堂(おおどう)やらお出かけしてました。反省して、カルチャー終了。
おぉ~、赤いっ! ナイスショット撮れた! 朝9時過ぎ、両子寺の駐車場。 開門早々で誰もいーひん、チャーンス、思たら、バックミラーに大分ナンバーのレンタカーが。隣に並ばれたらアカン。~どこに停めよかなぁ~的に行ったり来たり、もたもた駐車。~ちゃんと駐車できたかしら感で、車降りてうしろ確認したり、芸が細かい。京都ナンバー女子フル活用。いやいや、スペースよーさん空いてるんですよ。けどさ、トナラーとかいるやん。がら空きなのに横に停めるとか。関西圏域やったら嫌がらせやね。ともあれ大分レンタが別枠に移動しはったんを見てエンジン停止。ちなみに、大分レンタからカップル降りて来た。平日やで、仕事しなはれ・・は余計なお世話やね。ゴメン。
拝観の前に、参道を引き返してパチリ。カラフル。
山門の黄色もステキ。
境内もえぇ感じ。今年は京都のお寺お出かけしてへんし、ここで見れてうれしっス。伽藍ひととおりまわって、おおきに、言うて両子寺終了。大分レンタカップルにもおおきに、でしたね。
さて今日は、杵築(きつき)へでも行こうかしら、と山を下りる途中、岩が突き刺さったよーな山発見。
鬼城耶馬(きしろやば)と、並石(なめし)ダムの湖らし。隣の公園の赤もみじを入れてアップにすると・・
なかなかの秋感で、えぇやないの。ここらへん、瀬戸内海国立公園の中。凝灰岩や溶岩などの侵食によってできる奇岩の連続する景色を「〇〇耶馬(やば)」って呼ぶんですよ。大分県中津市に有名な、耶馬渓(やばけい)って景勝地あるんスけど、豊後高田市にもあったんや。で、ここの岩には・・見えるかな・・ぽっかりと穴が開いてて、しかも到底人間が行けへんよーな高い場所にあるんで、鬼が住んでるに違いない、とこから、鬼城耶馬、やて。かつての「くにさき」は鬼達の棲む異界「大魔所」で、腕力で大岩を割り、割った石を積んで一夜で石段を造ったなど、鬼にまつわる伝説が多く残されている、とも。確かに、熊野磨崖仏で上った石段に鬼の伝説。100段積むノルマ達成の1個手前で、今、なんどきだい・・ちょっと違う。けど、やっぱ鬼は騙される結末。鬼より人のが怖い。鬼に同情しつつ国東ドライブ続行。