家康ゆかりの寺・上徳寺を訪ねて~冬の京都カルチャー
左が徳川家康、右が息子・2代将軍の秀忠。真ん中が、家康の側室・阿茶局(あちゃのつぼね)はんで、このお寺を開基。
京都市下京区の上徳寺(じょうとくじ)。浄土宗。河原町五条の交差点のちょっと西南、ビルの間にお墓が見えてるお寺のひとつ。京都市の観光閑散期の文化財カルチャー「京の冬の旅」。今年のテーマは、親鸞聖人生誕850年、弘法大師生誕1250年とともに、どうする家康・・って、一気に世俗的な感があるけど、ともかく家康が建立した上徳寺も特別公開。ご近所やし、ちょっと覗いてみました。寺宝の掛け軸は本堂に展示のもん。ちなみに、子孫繁栄のためとはいえ側室制度って女子的にはムカつくけど、この阿茶局はんは、才知にたけた人で、戦にも随行し、大坂冬の陣では大阪城に入って和睦の使者をも務めた女史らし。家康から自分が死んでも尼さんにならずに、息子・秀忠も助けてやってくれ、と頼まれたんやて。まぁそれなら良しとするか。
富小路通(とみのこうじどおり)に面して山門。左上に「よつぎ(世継)地蔵」の案内版があるよーに、ここは子授け祈願・安産祈願にご利益で「世継ぎが授かる」お寺として有名やと、私も初めて知りました。へぇ~。
案内の方がずーっと説明してくれはりました。さらにどこでもカメラOKで至れり尽くせり。本堂に安置されてた鎌倉時代の仏師・快慶作かものご本尊・木造阿弥陀如来立像(あみだにょらいりゅうぞう)は、東京へ出かけてはるとかで留守やったけど、もうこのパネルで十分ですわぁ。1603年建立の際に、家康が滋賀県草津市の鞭崎八幡宮(むちさきはちまんぐう)からもらってきはった阿弥陀さんやとか。やれやれ、わがままな。どーやねん家康、やん。当初の本堂は火災で焼失。現在のは、1753年建立の永観堂(えいかんどう)の祖師堂(そしどう)を移築。
客殿は、貴族の屋敷から明治期に移築されたとかで、昔と近代が入り混じる。額は永観堂の最近のご住職の筆。右の襖絵は、円山派(まるやまは)を学んだ絵師の紅葉図と桜花図らし。うーん、ほぼ読み取れへんかった。ただ、奥の床の間に・・
円山応挙を見っけ。繊細なタッチの風景画の掛け軸。京都ではときどき応挙はんに出会える。うれしっ!。さらに、なかなか見ごたえあったんが地蔵堂。
狭い地蔵堂。横に回り込むと、ものスゴ近い。さらにカメラもパシャリ。石造り、高さ約2mの地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)はちょっと圧巻。特別公開の目玉はコレやったんや。世継ぎに恵まれますよーにとお参りにきてはった人の、夢に現れた等身大の地蔵尊が、石に刻まれたとされてます。
正面のお顔。狭いし、結構アップに切ってあるんで、2度の火災で焼けた傷跡が、なんだか生々しい。京の「よつぎさん」、人気やそーです。
境内には、ひっそりと、阿茶局のお墓。もうちょっと早よー出会うてたら、才知を分けてくれはったやろか。合掌。