東本願寺・御影堂門を登ってみる~冬の京都カルチャー
京都駅からすぐ。烏丸通を北へ七条通りまで上がる・・歩くと、左手に壮大な「東本願寺(ひがしほんがんじ)」。重文の「御影堂門(ごえいどうもん)」は、高さ約27m、日本一高い・・もちろん京都いち・・の木造楼門。京都市の観光閑散期の文化財カルチャー「京の冬の旅」、非公開文化財特別公開で、登ってみました。
入り口の案内板。非公開文化財内部は写真撮れへんので、まず看板をパチリ。いうても、ここの看板は撮影OKな外観写真やけど。ちなみに京の冬の旅企画は3月18日金曜日までやで~。
この楼門を見上げつつ京都駅まで歩いたJR通勤時代。でっかいなぁ、何年先の法要やねん、などと気にも留めてなかった看板。浄土真宗の宗祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)の生誕850年の法要は、来年、2023年3~4月ですよと告知されてる、らし。今回説明聞いてはじめて認識。そーか、東本願寺の真宗大谷派は浄土真宗、小説でちょっとかじった親鸞聖人の宗派やったんや~、などと思いつつ、800円払って、ものスゴ急でハシゴのような階段を上へ。コロナ禍、あまりあちこち触りたないけど、手すり持たんと、ほんまにすべって落ちそーや。
楼上からの京都タワー。桜も新緑もないけど、冬晴れの京都は、空のブルーと建物群がしっかりと見えます。左手のクレーンは、この御影堂門のちょっと南側にある重文・唐破風(からはふ)の「阿弥陀堂門(あみだどうもん)」の修復工事。この日から始まったとかで、またしばらくかかるんやろねぇ。
正式名称「真宗本廟(しんしゅうほんびょう)」のデッカイ額がとっても間近に。網も張ってあるし落ちることないやろけど、こっち向きでの写真撮り、ちょっとクラっとしました。
東山の風景。高い建物ないんで、清水寺とか目指すもんは大概見えます。下には烏丸通と、手前には味気ないコンクリート。現在、市民緑地を整備中とか。冬の旅の看板の写真は、ハスの噴水の向こう側あたりからやろか。近すぎるとカメラに入らへんし。
西側の風景。世界最大級の木造建築「御影堂(ごえいどう)」の右奥にうっすらと見えてる山は、右京区の愛宕山(あたごさん)。東の比叡山もどっちも標高1000mほど。背ぇ比べの喧嘩して、ポコッと比叡山に殴られてできたコブの分だけ愛宕山が高い・・って、ほんま?。。それにしても、京都がぐるっーと見渡せるんやねぇ~。
京の冬の旅ガイドブック掲載の写真を拝借。楼上に安置された三尊。真ん中が釈迦如来坐像、右が弥勒菩薩像、左が阿難尊者像。重文とかではなく。日本画家の竹内栖鳳が、天井に絵を描く予定だったらしいけど実現せず、天井は白いまま、惜しいっ。ちなみに、烏丸通側の蓮の花をかたどった噴水は、竹内栖鳳のデザインらしいです。そんなこんなで、今回の公開ポイントは、「世界最大級の木造楼門からの京都市内の眺望を、お楽しみください」ってとこ。
ここから、ちょこっとカルチャー。浄土真宗本願寺派の本山は、堀川通をはさんで西側に建つ、世界文化遺産の通称「西本願寺」。正式には、龍谷山・本願寺。この本願寺は、1272年に親鸞の末娘・覚信尼(かくしんに)が、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建したものを、本願寺に改称。その後本願寺は、比叡山延暦寺から迫害を受けるなどで場所を転々とし、大阪の天満に移っていたところ、豊臣秀吉が現在の堀川六条に寺地を寄進し、1591年に本願寺(現西本願寺)の伽藍が整備されたとか。がしかし、内部で派閥争い。関ケ原ウォーで天下を取った徳川家康と懇意にしていた僧侶が、家康から東側の寺地の寄進を受けて分派。1602年に、真宗大谷派・東本願寺が建立された、という経過らし。ということで、秀吉に対抗した家康バックの東本願寺は、とにかくデカい、なんでもデカい、ひたすらデカい・・ということが判明しました。その後4度にわたって焼失のたびに再建。現在のは明治28年完成もので、御影堂や阿弥陀堂など、ズラリと並ぶ世界最大級の木造建築物は、ほぼ重要文化財です。ただ・・・歴史の本流は西側の本願寺なので、西本願寺だけが世界遺産。国宝も西側に多いしね。
阿弥陀堂。奥が御影堂。ここらへんは出入り自由。いつでも心静かにご参拝ください、とのことです。