2026.01.28

浮世絵と美人画を楽しむ~嵯峨嵐山文華館の福田コレクション

いかにも京女、富士山より高いマウントとってそーな、祇園の芸妓さん。「待ってますえ~」としたためた手紙に、ちょっとキケンな色気を醸し出す玉虫色(たまむしいろ)の口紅を、ぶちゅっ。

祇園 井特(ぎおん せいとく、1755-1815)〈京妓美人図(きょうぎびじんず)〉。先にブログ紹介した福田美術館の「上村松園と美人画の軌跡」展。第2会場が嵯峨嵐山文華館の「浮世絵と美人画の軌跡」展。祇園のマウントおねぇさんは文華館パンフのメインビジュアル。松園は大好きやけど、今回はこっちのが気になった。大首絵で強烈インパクト。超カッコえぇ。京都にも浮世絵師いはったんやー。祇園 井特はその名の通り祇園に住んだ画家。舞妓や芸妓を理想化せずありのままの姿で描いた異色の作家らし。

祇園 井特〈美人立姿図〉。着物の褄(つま)を左手で持ち上げた「左褄を取る」姿。着物の合わせは右が開くんで、この動作やと布が引き絞られて胸に手を入れづろーなる。「芸は売っても身は売らん」のポーズ。なーる。

円山応挙(まるやまおうきょ、1733ー1795)〈美人図〉。もう一つ気になったんが、応挙の美人画。めずらし。豪華な衣装の遊女がかんざしで頭をかいてくつろぐ姿。ほほっ、応挙もまた理想化せんそのまんまの女子。理想の京女。怖いもの知らず。

長陽堂安知(ちょうようどうあんち)〈立美人図〉。生没年不詳。豪華衣装で凛と立つ見返り美人。豊満な体がいかにも江戸美人って感がある。17世紀後半、草花を円形に配した「花の丸紋」が流行してたらし。

月斎峨眉丸 (げっさいがびまる、1775ー1824)〈三美人双六遊戯図(さんびじんすごろくゆうぎず)〉。尾張藩士の浮世絵師。喜多川歌麿や葛飾北斎にも師事。3人美女の取り合わせは歌麿からの着想か。中央の花魁の赤いうちわは相撲の行司の見立て。出版文化が盛んだった 蔦屋重三郎 (つたやじゅうざぶろう)の時代に江戸の人々が好んだ、知的な楽しみを今に伝える1点やと。絹本着色(けんぽんちゃくしょく)ってあるし、肉筆の浮世絵やね。より高級で特別な注文品。第2会場の文華館では、福田コレクションの肉筆浮世絵が一挙に公開されてる。カメラもOKやし、福田美ほんまスゴイっス。

「浮世絵」の「浮世」とはもともとは「憂世」のこと。憂いに満ちた世の中を指す仏教の言葉。それが「定めのない、浮草のような世の中」さらに「浮かれた世」「心浮き立つような楽しい世」の意味で使われるようになったのは、天下泰平の世の中、江戸時代のこと。民衆が娯楽を追求し、その浮き浮きとした気分を共有しようとする感覚の中で生まれてきたのが浮世絵なんやて。

源琦(げんき、1747ー1797)〈朝妻舟(あさつまぶね)〉。麗しい男装やけど、今の滋賀県米原あたりの港で、遊女が船に乗り客を待っているところ。平家の都落ちの後、女房たちが身をやつしたともいわれる悲しい物語。プライド高い京女やろに。源琦は応挙の最初期の弟子。

抱亭 五清(ほうてい ごせい)〈品川沖潮干狩図(しながわおきしおひがりず)〉。江戸時代から今も庶民に楽しまれる潮干狩。遠くに富士山見えてる。肉筆浮世絵が屏風絵に描かれてるんはめずらしと。葛飾北斎の弟子。抱亭・・ほうていは「だきてい」とも読むとか。落語ののり的な。

抱亭 五清〈母子図〉。だきてい、の真面目なギャルママ図。背負った息子が蝶を目で追うのを、同じように視線をはわせてニコッ。しっかりお母さんしてるじゃん。それにしても若さ溢れた流れるよーな体のラインとイカした着物。昔も今も、ママになってもギャルはおる。

歌川国貞(うたがわくにさだ、1786ー1865)〈立美人図〉。のちの三代目歌川豊国。歌川派と言えばジャンル浮世絵の祖。裾模様には鉄線(てっせん)の花。地味好みの江戸、芸妓さんも上着は黒地に抑えてるけど、立ち上がると裾の花が咲き誇るっちゅうんが粋(いき)でシャレてる江戸好み。

東燕斎寛志(とうえんさいかんし)〈雪中美人図〉。江戸中期頃の人。肉筆の美人画を主に描いた浮世絵師。降りしきる雪と吹き付ける風の中で立ち尽くす振袖姿の娘。よく見ると着物の柄は御簾(みす)に蔦(つた)、帯は流水に山吹の柄で初夏に近い春の文様。想定外の物凄い寒の戻りに遭遇。ちょっとでも暖をとろうと口元まで襟にうずめて、体をよじって袖をかき合わせる。雪と寒さに翻弄される美女。いつの世もオシャレは我慢。

鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし、1756ー1829) 〈蛍狩美人図〉。立ち姿に見ほれるぅ。すらりとした長身のおねぇさん。江戸後期の旗本・細田家に生まれてのちに当主にもなった浮世絵師。同時代の喜多川歌麿とはライバルで人気を競ったとも。育ちの良さなのか、栄之の描く女性は清楚で気品がある。この蛍狩もありえへんほどシュッとした美人。肌や髪飾り以外は淡墨で一見地味に見えるんは、蛍の光が飛び交う夜の情景らし。またこの頃は派手な色を敢えて使用せず、墨、淡墨、鼠を基調にちょっとだけ色を添える「紅嫌ぎらい」という表現方法も流行してたんやとか。これも江戸っぽいよねー。

山口 素絢(やまぐち そけん、1759ー1818)〈三美人図〉。客が来ぬ間の双六遊び。あれっ?どっかで見たよーな構図。素絢は江戸中期から後期の円山派の絵師。円山応挙の弟子。浮世絵版画は江戸で生み出されたもので、京都の人には縁遠いもんやったなか着目した素絢。当時、べらぼうな人気を誇っていた喜多川歌麿が、たびたび題材にした三美人の図をオマージュ。なーんだ。女三人寄ったら、西も東もみな、双六してはんのか思たわ。

中村 貞以(なかむら ていい、1900年ー1900)〈蛇皮線(じゃびせん)〉。時代が進んで、大阪出身の近代の日本画家。蛇(へび)の皮をつかった蛇皮線。粋な姐さん、腕に覚えあり。縮緬(ちりめん)の無地の着物の上にベルベットの羽織。羽織はもともと男性の着物から派生したもので、音曲(おんぎょく)や生け花などの師匠が好んで着用。衣装や容貌の美しさやなくて、美しい音色こそ聞かせたいとの凛とした美の姿を追求。

北野恒富(きたの つねとみ、1880年ー1947)〈むすめ〉。石川出身、大阪画壇をけん引した日本画家。日本舞踊「鷺娘(さぎむすめ)」の場面。娘は鷺の化身。本来は白い衣装で踊る演目を、薄い緑の着物に置き換えて、雪の結晶や舞扇を2つ合わせた雪の輪の文様で美しさを取り込む。

秋野 不矩(あきの ふく、1908ー2001)〈春駒(はるこま)〉。春駒は晴れやかなお正月の踊り。ふくさんは、静岡出身の日本画女子。昭和初期から京都の西山翠嶂(にしやますいしょう)門下にいはったし、京セラ美やらでも凛とした美人画を見かける。静岡県浜松に秋野不矩美術館もあったよーな。。。お出かけしたいけど、ずーっと雪で米原やら越えられへん。当分は京都まちなかウロウロやね。しかも車。車旅できひんとバッテリーあがりそーで、先日、上賀茂神社のPに初めて停めたら一日単位で1000円。ビックリ。10分もおらんのに。四条烏丸行きの市バスが恨めしかった~~なんて呑気なこと言うて、スイマセン。日常生活できること、感謝です。