2024.10.20

色あざやか花鳥画のデッカイ屏風たち。「石崎光瑤」展~京都文化博物館

石崎光瑤(いしざきこうよう、1884~1947)。生誕140年大回顧展。出身は富山県らしく、北陸旅に行ったとき南砺市福光美術館での開催チラシを先に見つけてて、日本画家に興味あるしまた泊旅して行こかな思てたら京都でも開催あり。なんや、旅行けへんのか、とちょっとがっかり。ともあれ気を取り直して光瑤さん。京都で活躍してはったらしく、文博、力入ってます。ワンフロア全カメラOKて初めて遭遇した。

メインビジュアル赤て、結構、派手やん。どんなん描いてはったんやろと思たら、いきなりデッカイ屏風3連ちゃん。

《熱国妍春(ねっこくけんしゅん)》1918年。インド旅行に行って熱帯の動植物を精力的に写生してはったとか。右隻はビンロウの巨大な葉の重量感を表現・・

確かに、こんな大きな葉っぱに埋め尽くされた屏風絵、見たことない。竹内栖鳳に師事してたとは思えんほど。左隻は熱帯のジャングル。色彩と構図が当時の画壇に大きな反響を呼んだ、って、そりゃビックリするやろ。第12回文展で特選を受けたとか。

さらに翌年の第1回帝展で特選を受賞した《燦雨(さんう)》1919年。熱帯特有のスコールに驚くインコと孔雀。赤い花はホウオウボク(鳳凰木)で風に揺れてるし、金泥の雨が斜めにかぶさっててかなりごちゃごちゃ。けど、先に貼り付けた名前バックにあるアップ絵のとおり緻密にしっかり描かれてる。この独特の臨場感に感動した若手画家も多く、上村松園の息子、若き上村松篁(しょうこう)もそのひとりだったと。

《白孔雀》1922年。鬱蒼とした林に羽を広げた孔雀。近くで見るとプラタナスの葉の上に繊細に描かれた白い細い線びっしり。これら3点のそろい踏みは京都会場だけだったらしっス。やっぱ京都、集めるねぇ。大きすぎて写真撮れへんしガラスには光や人が絶対写り込んでたとしても。

富山に生まれた光瑤は、近代日本の登山史にも大きな足跡を残してて、父の死をきっかけに登った立山から登山に没頭。1909年には民間パーティーとして初めての剱岳(つるぎだけ)登頂にも成功。インド旅行はヒマラヤ登山目的もあったらしく、巨大屏風はマハデュム峰への日本人初登頂の帰国後に発表された。

少年期の昆虫類の写生。写生というより昆虫図鑑。

立山やらの高山植物の写生帖。やがて巨大屏風になっていく。

若冲の模写作品《鶏之図》1926年。早くから伊藤若冲を評価し研究してたらし。

《雪》1920年。大原、鞍馬、愛宕に取材した雪景色。日本画的になった感あり。雪の積もり方がリアルやけど画面いっぱい過ぎて、ちょっとせわしない。

《寂光》1929年。7羽の孔雀と月。ずいぶん静かな画面になってきた。1930年代後半からは大画面にたっぷりな余白で、静謐な雰囲気の作品へ、やったけど、後半のフロアはカメラNGにつき以上終了。言うても、ダイナミックな前半のが私は、好き。光瑤の紹介マンガ描き下ろし。わかりやすいね。

光瑤はん、こんな人でした。また福光美術館へも行ってみよう。どうしても旅にしたいワタシ。