2024.06.19

長崎県・平戸、赤い橋を渡って、異国情緒な城下町へ~京女のひとり旅67

京都から約900km。新緑の九州旅の折り返し地点。目指すはデッカイ赤い橋、平戸大橋・・って、よー覚えてる思たら、2回ほどツレアイと来たことある。車で私の両親も乗せて来たり、佐世保から松浦鉄道で来たんは最近・・って2005年やから20年ほど前。アカン、私の時はもう止まってる。(九州旅ランチ編ブログ)

デッカイ平戸大橋の写真ないし、代わりに、デッカイよもぎ大福。平戸ちょい手前の道の駅・松浦(まつうら)でゲット。旅4日目は佐賀県・唐津から。平戸は近いし早よ着きすぎてもあかんやろと、唐津駅や商店街を朝ウォークしてから発。それでも早そーやし、朝10時やけど、しょうことなしに、おやつターイム。へへっ。。

前回来たときにゲットしたお土産。鬼洋蝶(おにようちょう)と呼ぶ平戸の凧(たこ)のミニチュア。ハンカチとキーホルダーは日常遣いしてるし、私には平戸はもはや丹後くらい近い。平安時代中期、平戸松浦家の第5代・渡辺綱(わたなべつな)の鬼退治の雄姿が描かれてて、京都へんにはないデザインがお気に入りしちゃった。私の大事な一生もん。

さて、10時半にはホテルPに車を置いて、市街地ターミナルの平戸桟橋まで20分ほど腹ごなしウォーク。言うても歩くしかあらへん。。観光案内所寄らんでも、もー見えてるし、平戸城。

ここで平戸歴史講座。大和朝廷時代の遣隋使、遣唐使。702年の第7回以降の経路は、博多湾から平戸、五島経由で東シナ海を横断して中国大陸へ。894年に菅原道真の建議で遣唐使が廃止された以降も、新羅や唐の民間海商など、日本と中国を結ぶ重要航路として、人、物、文化を伝えてきた。臨済宗や曹洞宗など中国との禅宗寺院ネットワークも構築。中国の私貿易商人もやってきて平戸港は日本側の窓口に。1550年にはポルトガル船が来航。1543年に種子島に鉄砲を持ってきた、あのフランシスコ・ザビエルも平戸に来て、村々には教会や十字架が建設された。その後、オランダ船やイギリス船も来航し南蛮貿易で栄えたが、江戸幕府の鎖国政策で窓口は長崎へ移行。平戸の800年にわたる海外貿易港としての歴史に幕。知らんかったー。長崎県にあるし鎖国時代に長崎・平戸ひとくくりで開港してはったんや思てた。なわけない・・県は廃藩置県以降やん。2回も来て何見てたんやろ。恥ずかしっ。平安朝からずーっとお世話なってたんや。ブログすると勉強なるわ。

 

幸橋(さいわいばし)と幸橋御門(さいわいばしごもん)。別名、オランダ橋。お城は橋の向こう側。城下町からお城へは船で行き来してたけど、橋ができて、幸いやな~、の橋。石積みアーチ技術は、オランダ商館づくりに携わった日本人石工が地元の石工に伝授したとか。ガードレール・・と言うか・・にはずーっと、小さな異人さんいはる。誰やろ。

平戸城。別名亀岡城。松浦家のお城。現在の天守閣は、1962年の復元。

見奏櫓(けんそうやぐら)。海がずーっと遠くまで見渡せる。海外に開かれた平戸。国際交流の拠点のまちは、当時とても賑わったんやろねぇ。。。さてもうお昼前。桟橋近くの平戸市漁協に、食堂の看板あったはず。

「旬鮮館」。味がある店内・・アジ?

アジ南蛮・・ほんまにアジだけ出てきてビックリ。甘めの酢によー漬かっててうまい。今日はアジフライ300円の日。小ぶりやけど肉厚揚げたてでこれまたうまい。ビール缶を前にした常連らしき高齢のオッチャンが、お店のおねえさんからおススメされてたんで、マネてみた。さすがに平戸まで来て300円のアジ2種だけでは思て、ヤリイカ刺しもチョイス。今回の旅ナンバー1ランチ。

ほろ酔いでまちぶら。温泉あるんやー。ちなみに、帰ってから20年前の写真見たら、私、うで湯、してました。あらまぁ。

平戸名物、「寺院と教会の見える風景」。ここの記憶は鮮明。変わらない風景をパチリ。海の方を向くと・・

こんな景色が広がってる。ほろ酔いで坂道は、かなりキツイ。

見えてる教会はこれ。平戸ザビエル記念教会。

商店街。夜のホテル持ち込み食料を買いたかってんけど、スーパーとかなくて。おばあちゃんの小さなお店の揚げもんはみな真っ黒。手伝ってあげよかな思た。なんとか昔懐かしナポリタンとポテサラ入手。パン屋は社会福祉法人やった。最近のあるある。高齢者ばっかやろに、みな生活できてんのやろか。さて、次は20年後? さすがにそれは。。。