2025.11.01

鳥取県・小さな城下町・鹿野(しかの)~京女のひとり旅95

鳥取旅、晴れ予報やったし連泊。2日目は城下町・鹿野。鳥取市の西部。その昔、鹿野温泉の国民宿舎に丹後の両親をピックアップして泊したことがある。今、どんなんなってるんかなぁ。

鳥取駅近のホテルから、国道9号経由のナビを無視して、県道の案内板をたよりに鹿野へ。国道より近そうやけど、まちなか時速40㎞制限の生活圏ルート。鳥取市街抜けたあたりでブルーの池、めっけ。ちょっと寄り道。湖山池(こやまいけ)。周囲18km、面積6.9㎢で日本最大の池らし。日本海から湾入したとこが、砂丘の発達で海から隔離されて残ったもんやて。

鳥取市街地から近いとこに、こんな憩いの場。えぇなぁ~。最高の秋ブルーをカメラしてから走ると、ほどなく鹿野着。

鹿野城跡公園。お城の山とふもとに桜の木。季節には桜コラボショットやね。

ちょっと角度を変えるとブルーが引き立つ、内堀。お城の山ってなんか見るもんあったっけ?眺めえぇんかなぁ。 えぇお天気やし上ってみることにした。

城山神社への急な石段。なんかウッソウとしてるけど。。。

ほどなく、もしかして失敗?思たけど、乗りかかった船、ならぬ上り始めた城山、と上へ。ハァハァ。

う~~~ん、見事に何もなし。まぁ、こんなこともある。せめて眺めなりとも・・

木々のすき間から、かろうじて城下町鹿野。ここでよーやくパンフ見た。字細かいし、行ったらなんかあるやろでアクションするし、いっつもだいたいこんな感じ。ハハハッ。ブログ書くときよーやく真面目にカルチャー。パンフによると、天守などの建物はなし。鹿野城が初めて史書に登場するのは1544年。中世・戦国時代の山城。毛利や秀吉、鳥取城攻めの際の軍事拠点になったり。関ケ原の合戦後、この地を治めた亀井 茲矩(かめい これのり)が、鹿野城や城下町の大改修をして現在の町並みの基礎を作ったと。

城山から下りて城下町歩き。やっと見つけた観光案内交流館・「童里夢(ドリーム)」。コーヒー飲めるって控えめな看板。即、注文。かなりヘロヘロ状態やったし。

「甘いもん食べたい」「売店で売ってる、地元の平吾菓子舗(ひらごかしほ)の最中、コーヒーと一緒に出しましょか」。カフェ担当が不在だったよーで、観光協会のおにいさんがコーヒーも入れてくれた。

元気回復してから、メインビジュアルの城下町ウォーク。ちなみに、昔来たときは、こんなコジャレてへんかった・・ってか、城下町ってあったっけ?な記憶。過去は忘れるタイプ。

ぬくもりあふれる県民百選のまちなみ。鹿野の大工技術は、応仁の乱(1460年代)に京都山城地区から宮大工が戦乱を避けるために鹿野町に来たことがきっかけで伝わったらし。「京風千本格子(せんぼんごうし)」や釘を使わん「木組み(きぐみ)」の建築。今でも宮大工の子孫は屋号が「山城屋」とか。

民家の格子には、川柳付きの小さな風車。クルクルおもてなし。

心地良いまちなみ。結構歩いたし、ここらで終了。鳥取駅前ホテルへ戻ることにしよう。

ランチは鳥取城近くの「なかむら食堂」。鳥取県庁御用達の小さな飲み屋が、ランチもやってます、的なとこ。ホテルに車置いて、駅と反対側、鳥取城あたりのランチ処探してウロウロ。県庁そばには裁判所や文化センターやら敷地がデッカイ建物ばっかで足が疲れてきた。今日はハズレの日?とあきらめかけた矢先に見つけた営業中の看板。メインはサバの煮つけの日替わり。小皿はそのまま夜の一品になりそーやん。京都府庁の近くにもこんなお店あったよーな。親しみさえ湧いてきた。食べ終えて立ち上がると、「なんぼもらったらえぇん」って、奥さんダンナに聞いてはった。夜のビールはぼったくりとか?いやいや、昼にビールする県庁職員いてへんし値段わからんかったんや。奥さんランチ手伝いだけやから、ってなストーリーどうよ。いやほんま、旅はおもしろい。