2022.08.31

京都・圓徳院と高台寺の「百鬼夜行展」。応挙の幽霊図、等伯の襖絵にも出会えて。

京都市東山区、圓徳院(えんとくいん)に展示の、百鬼夜行(ひゃっきやぎょう・ひゃっきやこう、とも)絵巻。

ギョロリ、ひとつ目でにらまれたり、舌もペロリ。

こっちは、もうちょっと古そーな絵巻。深夜に鬼や妖怪たちが、行列で徘徊する百鬼夜行。平安京の頃から、もののけたちが夜な夜な百鬼夜行する京のまち。けど、どれもこれも、ちょっとかわいい。

高台寺(こうだいじ)と、高台寺塔頭の(たっちゅう)の圓徳院で開催の「百鬼夜行展」。この機会にと圓徳院を初訪問。疫病コロナ退散のご朱印をいただいて、カメラもOK。気分よく拝観したんで、ちょっとご紹介。

パンフに「秀吉の妻、北政所ねね終焉の地 京・東山 圓徳院」と、そのままに紹介されてる。豊臣秀吉(とよとみひでよし)の没後、その妻北政所ねねは出家して「高台院」となり、秀吉を供養するために、徳川家康の協力を得つつ、「高台寺」を建立。その後、ねねが、秀吉との思い出深い、伏見城の化粧御殿とその前庭を移築して移り住んだとこが、のちの圓徳院。ねねが通った高台寺への小道は「ねねの道」と呼ばれて今は観光の道。ねねは、77歳で没するまでの19年間を圓徳院で過ごし、親しみやすい人柄で、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が北政所を慕って訪れはったらし。うらやましい老後。めざせ、ねね!?

円山応挙の幽霊図。江戸時代中期。こーいうのに出会えるのは、うれしっ。

ガラス越しで、見にくいけど、長谷川等伯(はせがわとうはく)の襖絵。重文。これはたぶん高精細複製品。桐の紋の唐紙(からかみ)に描かれてるのはめずらし、って、普通、こんなとこに描かんやろ。なんでも、襖絵の制作を懇願してたのに許可が下りず、住職が留守してる間に等伯がしのび込んで、ちょちょい、と描いたとか。

見にくい、っちゅうねん・・おもろい人やなぁ、絵師の等伯・・けど、大好き!圓徳院も、なかなかに、しぶいお寺やったんやー。

北庭。伏見城から移築され、ねねが日々愛でた、桃山時代の豪華さが残る枯山水。
平成に描かれた「白龍(はくりゅう)」。荒れ狂う波は秀吉の頃の乱世か。
秀吉の出世守り本尊「三面大黒天(さんめんだいこくてん)」。両横にもお顔があって、たいへん珍しい大黒天・毘沙門天(びしゃもんてん)・弁財天(べんざいてん)の三天合体の尊像。横から入れる御堂は、京都御苑から移築されたものとか。ご利益3倍増し・・かな?
こちらは、高台寺の境内。方丈と開山堂を結ぶ、重文の観月台。ねねが、亡き秀吉を偲びながら月を眺めた、という。
方丈には、百鬼夜行展にちなんで、鬼たちのちょうちんが、ゆれてたけど、絵巻や河鍋暁斎(かわなべぎょうさい)らの展示物は、カメラNGにて。
唯一のカメラOKは、「にっかり笑う女の幽霊」。妖怪たちのようなかわいさは、みじんもなし。名刀「にっかり青江(あおえ)」の幽霊エピソードに、うっかりほれ込んだ作者が制作した、と。人形の関節が球体で手足が自由に動くんやて。夢に出てきそーで、正面アップ撮影は勘弁。
妖怪よりも、にっかり幽霊のお口直し。高台寺門前、高台寺御用達の「前田珈琲・高台寺店」。キャラメルカフェタルト・・だったかな。朝10時過ぎで、高台寺モーニングする人たちに、チラ見されました。年寄りは朝が早いんやー。。。夏は終わるのに、まだまだ暑いねぇ~~。