京都・圓徳院と高台寺の「百鬼夜行展」。応挙の幽霊図、等伯の襖絵にも出会えて。
京都市東山区、圓徳院(えんとくいん)に展示の、百鬼夜行(ひゃっきやぎょう・ひゃっきやこう、とも)絵巻。
ギョロリ、ひとつ目でにらまれたり、舌もペロリ。
こっちは、もうちょっと古そーな絵巻。深夜に鬼や妖怪たちが、行列で徘徊する百鬼夜行。平安京の頃から、もののけたちが夜な夜な百鬼夜行する京のまち。けど、どれもこれも、ちょっとかわいい。
高台寺(こうだいじ)と、高台寺塔頭の(たっちゅう)の圓徳院で開催の「百鬼夜行展」。この機会にと圓徳院を初訪問。疫病コロナ退散のご朱印をいただいて、カメラもOK。気分よく拝観したんで、ちょっとご紹介。
パンフに「秀吉の妻、北政所ねね終焉の地 京・東山 圓徳院」と、そのままに紹介されてる。豊臣秀吉(とよとみひでよし)の没後、その妻北政所ねねは出家して「高台院」となり、秀吉を供養するために、徳川家康の協力を得つつ、「高台寺」を建立。その後、ねねが、秀吉との思い出深い、伏見城の化粧御殿とその前庭を移築して移り住んだとこが、のちの圓徳院。ねねが通った高台寺への小道は「ねねの道」と呼ばれて今は観光の道。ねねは、77歳で没するまでの19年間を圓徳院で過ごし、親しみやすい人柄で、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が北政所を慕って訪れはったらし。うらやましい老後。めざせ、ねね!?
円山応挙の幽霊図。江戸時代中期。こーいうのに出会えるのは、うれしっ。
ガラス越しで、見にくいけど、長谷川等伯(はせがわとうはく)の襖絵。重文。これはたぶん高精細複製品。桐の紋の唐紙(からかみ)に描かれてるのはめずらし、って、普通、こんなとこに描かんやろ。なんでも、襖絵の制作を懇願してたのに許可が下りず、住職が留守してる間に等伯がしのび込んで、ちょちょい、と描いたとか。
見にくい、っちゅうねん・・おもろい人やなぁ、絵師の等伯・・けど、大好き!圓徳院も、なかなかに、しぶいお寺やったんやー。