2021.05.08

京都・新緑の嵐山ぶらり。お庭と緑の借景を楽しむ~天龍寺・弘源寺

新緑の嵐山。渡月橋の向こうに見えるマウンテン嵐山。5月の青空と山の緑とブルーグリーンの桂川。久しぶりにステキな嵐山に出会えたような。

最近の嵐山はあんまし紅葉が美しくない。もみじが紅く色づく頃にはまわりの木々はすっかり枯れ木になってたりして。温暖化の影響やろか。なら、新緑の季節はどうかしら、とお出かけ。日頃の善行のたまものに違いない・・・と言いたくなるほどナイスな景色。フフッ。これなら嵐山を借景にしたお庭が楽しめるはず、とそこらへんのお寺の庭園めぐりへ。ところで、このあたり一帯は嵐山。渡月橋の後ろに見えるのが標高382mの嵐山。写真には見えてへんけど、左側の松尾山と右側の鳥ヶ岳を合わせて嵐山三山と呼ぶらしい。で、川を挟んでさらに右側は文学的色合いがぐーんとアップする亀山と小倉山(おぐらやま)が。そう小倉百人一首の小倉山。さらに、川は大堰川(おおいがわ)で、渡月橋から下流が桂川と呼ばれます。大堰川をぐいぐいと上流へ行くと保津川。お隣の亀岡市から16㎞の保津川下りの終点が嵐山。京都府庁亀岡の事務所勤務時代、車窓から見える嵐山や保津峡の四季に癒された日々も懐かしい。

まずは臨済宗の大本山・天龍寺。1339年、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために創建した禅寺。世界文化遺産。嵐電・嵐山駅近くのデッカイ案内から西へ長い参道を進むと正面に見えるのが、写真の庫裏(くり)で、これは明治の再建のもの。天龍寺は8回の大火に見舞われたので建物の多くは明治期の再建とのこと。今回は方丈(ほうじょう)拝観をせずにお庭へ。庫裏手前の左手にお庭拝観受付あり。500円。

夢窓疎石(むそうそうせき)を開山として開かれた天龍寺の曹源池庭園(そうげんちていえん)。池・曹源池を巡る回遊式庭園。写真の正面奥に見えてるのが嵐山。借景・・言わずと知れた造園技法。庭園外の景色を借りて魅せてます。左手の方丈から見ると西側の亀山を借景にした景色が見られます。約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめてて、全国最初の史跡・特別名勝指定なんですって。

ひと月ほど前、3月末頃の天龍寺のお庭の写真。嵐山かいわいの桜を見に来てて、久しぶりやな天龍寺、って感じで入ってみました。けど、この時期は山桜のピンクがちょこっと見えるけどほぼ枯れ嵐山の借景でガッカリ。お庭と諸堂の共通券やったのにお庭へは下りずに終了。あの時のお庭拝観券、今回使いたかったなぁ・・・って、セコイ。

ちなみに、前回は、どっちかっていうと方丈に特別展示されてた旧・天井画の雲龍図の方が気になったもので。作者の日本画家・鈴木松年は、同じく日本画家・大好きな上村松園の最初の師匠&いわくあり男。あんまり作品見る機会がないんでちょっと見て見ようと。写真にも収まりきらんほどデッカかったけど、損傷劣化で龍の目ん玉以外はなんやよーわからへんかったです。

もともとこんなんやった、と横に展示されてた写真。四角の一つが1m四方ほど。和紙に描いてから天井に貼付されてたとか。そりゃ大変や。現在は1997年に日本画家・加山又造が描かはった「八方にらみの龍」の雲龍図・・どこから見てもこっち見てるってやつ・・が法堂(はっとう)に展示。500円。ブルーアイのネコ目が特徴的な加山又造の龍にはとても興味あり。また、行かなくっちゃ。

方丈の反対側から、開け放された扉越しにお庭の新緑をパチリ。窓越し扉越しアングルは最近のお気に入り。室内の暗さが外の色合いを一層引き立たせて、闇の向こうに違う世界が広がってるよーな、そんな気ぃーしませんか?撮りためてシリーズ化しようかしら。

赤花蠟梅(あかはなろうばい)。広いお庭には順繰りに見頃のお花たち。

鍾馗揚櫨木(しょうきうつぎ)。やたら難しい漢字の看板で花名を紹介してはるのは、何か意味があるのかしら。世界遺産の上から目線?、夢窓国師はんの遺言でもあるまいに。

若い芽吹きの葉っぱとともに、この時期特に美しいのが「苔」。木の根っこまでも覆う苔に時の流れを感じて魅了されます。回遊式庭園をぐるっと一周してお庭拝観終了。諸堂拝観の追加は300円。特にこだわるものがないならば、庭園拝観だけのコースがおススメ。

嵐山の借景がステキだったお庭を、もう一つ紹介。天龍寺の参道にある、天龍寺塔頭(たっちゅう)・弘源寺(こうげんじ)。

枯山水庭園。小ぢんまりしてるので収まりよく嵐山の緑もマッチしています。パンフは紅葉の嵐山がバック。これもまた一度お試ししてみることにしよう。

弘源寺は春の特別拝観中。日本画家・竹内栖鳳とその一門の日本画が見られるとの案内に心ひかれて。写真撮れへんかったけど、竹内栖鳳は数点、上村松園、徳岡神泉、小野竹喬、池田遥邨らの扇に描かれた絵や菱田春草の絵、横山大観の書・・は読めへんかったけど、そうそうたる画家の絵画がなぜに・・? 先代の住職が竹内栖鳳画伯の画塾「竹杖会」の方々と親交があったらしく、また、竹内栖鳳の息子が弘源寺で病気療養の際、門下生の竹杖会メンバー、なんとその数総勢24名が集まって激励の襖絵や扇面を描いたとか。京都四条派を伝える日本画家が勢ぞろい。おそるべし弘源寺、でした。コロナ禍で京都ウロウロしかできひんけど、京都ウロウロは奥が深くてしばらくは楽しめそう。けど、やっぱり、安心安全なウロウロがしたいよー。