2022.02.22

京都・詩仙堂、ひとり静かに冬景色

京都市左京区一乗寺(いちじょうじ)、北山には雪のしぐれ雲、まちなかにもチラチラ雪が舞う寒い日、詩仙堂(しせんどう)へお出かけ。

市バスを降りて、歩くことしばし。観光客らしき人らが誰もいない入り口の小さな門、「小有洞(しょうゆうどう)の門」に到着。ニンマリ。よしよし、2月の平日はこーでなくっちゃ、と、パチリ。

石段の参道をのぼると、「老梅関(ろうばいかん)の門」。さらに、えぇ雰囲気。

♪~女が~ひとり~♪・・も、そーやけど、さらに、詩仙堂をもひとりじめ。新緑や紅葉の頃やないしできるワザ。きれいに手入れされた冬枯れのお庭は静かで、時おり、竹が岩を打つ音・・そう、鹿おどし(ししおどし)の音(ね)だけが、心地よく静寂に響きます。静か!

詩仙堂丈山寺(じょうざんじ)。もと、徳川家康の側近やった石川丈山(いしかわじょうざん)いう人が、1641年に隠居所として建てた草庵だとか。丈山は武将で文人。33歳の頃の大坂夏の陣を最後に武士を隠退してから、主に朱子学を極め、禅を学んだらし。59歳で詩仙堂を造営し、90歳で没するまで、漢詩や書、作庭に励みつつ、悠々自適な生活を送ったんやて。すばらしい!リタイア後の今こそ、見習いたい生き方・・・言うても、既に悠々自適の感がある私です、へへっ。密を避けるために市松模様的に敷かれたブルーのもうせん。きままに移動して角度いろいろに眺望を堪能。丈山没後に丈山寺となり、現在は、曹洞宗大本山・永平寺の末寺です。

建物内には、江戸の絵師、狩野探幽が描いた中国の詩人三十六人の肖像画があり、各詩人の肖像画の頭上には、石川丈山が記した漢詩が書かれてて、その「詩仙の間」を中心としていることから「詩仙堂」と呼ばれてるらし。ちなみに、詩仙堂、本来は「凹凸窠(おうとつか)」と呼ぶらしく、でこぼこした土地に建てた住居という意味なんやて。で、丈山はここに、十境(じゅっきょう・・十の景勝地的な・・)を見たてて、「詩仙の間」、先に紹介した「小有洞の門」「老梅関の門」など十か所を命名、と説明されてます。こだわりがびっしり詰まってるんやねぇ。

庭を散策。「ししおどし」をしばし眺める。水の重みで竹が動いて・・・これって、ずーっと見てても結構あきひんのよねー。もともとは、イノシシやシカが庭園を荒さんよーに、らしいけど、静かすぎてちょっと寂しかったんか、丈山さんもこの音響をお気に入りしてはったらしいですわ。

凹凸窠・・庭もほんまにでこぼこやけど、うまく利用して滝や池がミニチュアのよーに配置。椿、サツキ、ハスやらいろいろなお花たちが、それぞれの季節を待って待機中。池には鯉も。

苔もキレイやなぁ。花よりも新緑の頃のが人も少ないしえぇやろか、などと考えつつ散策。帰ってからネット見て気ぃつきました。小さなお地蔵さんが、ちょこちょこ、いはったよーで。上の写真、拡大して・・めっけ。また、機会があればお出かけしようっと。

写真ではわかりづらいけど、北山から降りてきた雪がちょっと強くなってきました。「もう一回、お座敷からお庭みせてね」と受付のおねぇさんにお願いして、積雪とまではいかんけど、しばし、吹雪いてきた冬の風情たっぷりのお庭を、再度楽しませていただきました。

老梅関(ろうばいかん)の門を出てちょっと振り返る。それにしても、ほぼ貸し切り。色鮮やかなシーズンやと、こうはいかんのやろね。コロナ禍に、静かで心落ち着くひととき。おおきに、です。