2022.01.23

雪の京都、その2。知恩院・方丈庭園の雪景色

今年は、よー降るねぇ。今回の雪のお散歩は、京都東山、知恩院(ちおんいん)の方丈庭園(ほうじょうていえん)。知恩院と言えば浄土宗(じょうどしゅう)の総本山。浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)ゆかりのお寺、雪景色&ちょっとカルチャー。

松原橋からの眺め。鴨川は寒々とした群青色(ぐんじょういろ)。右手奥の比叡山は、すっかり厚い雲の中。鴨川の上流、北山あたりはしぐれてるみたい。青空やけど、しばらくすると、あの雪雲が京都のまちなかに流れ込んできます。

円山公園(まるやまこうえん)も雪。途中、八坂の塔へちょっと寄り道したら、花嫁花婿さんの写真撮影中。着飾ったお友達らもカメラをかまえて本物の結婚式みたい。ちょっと前まで中国あたりからのウェディング写真撮りツアーとか流行ってて、人出を避けた夜明け前から、肩出しウェディングドレスで張り切ってはったもんで。。この日の花嫁さん、色打掛が白に映えてました。それにしても、参加の人たちほんまに足元のお悪い中、やねぇ。情緒ある石畳は雪でツルツル。革靴やヒールでは難儀やなぁ。まあ、めったに見られへん雪景色の八坂の塔に来れた、ということで。円山公園近くの長楽館(ちょうらくかん)にも花嫁さん。明治のタバコ王の迎賓館で風情ある建築物。今日は大安吉日かな。。とけてながれりゃみなお~なじ~♪・・私の頭には、冷めたフレーズしか浮かんでこーへんけど。

円山公園の祇園しだれ桜。春までもうちょっと、がまん。

知恩院の山門は工事中。段差が大きい正面の男坂は登れず、横のなだらかな女坂から上へ。方丈庭園へは、法然上人の御影を安置する国宝の御影堂(みえいどう)から入るらし。冬の寒い冷たいお寺の廊下をずいずいと進むと、重文の集会堂に庭園受付あり。知恩院の七不思議、キュッキュッと歩くたびに音がする鴬張り(うぐいすばり)の廊下、スズメがあまりに上手に描かれてたので、生命を受けてどっかへ飛び立っていったという狩野派作のスズメがいない菊の花の襖絵・・・あっそー・・などと見つつ庭へ。

雪の方丈庭園。奥に見えるのが、国宝の御影堂の屋根。

横に回って、右手の建物が大方丈(だいほうじょう)。人がいーひんし、じっくりゆっくり心を落ち着かせたいけど、建物内には入れてくれへんので、ちょい寒いよ~。修行やろか。

今日のヒットは、この景色かな。小方丈(しょうほうじょう)から石段をトコトコ登ったとこに建つ、山亭の庭園からの眺め。京のまちの雪景色を一望。まだ雪雲は居座り続けてるよーです。

ようやく出会えた法然上人。今回は、晩秋に比叡山延暦寺にお出かけして、天台宗の開祖・最澄さん、浄土真宗の開祖・親鸞さんにふれたので、比叡山つながりで、親鸞さんが師と仰いだ法然さんを訪ねてみようと。知恩院は、法然さんが後半生を過ごし没した地に建てられた寺院やけど、大伽藍を築いたのは江戸時代、浄土宗を信仰した徳川家康。

最澄が仏教の学びシステムを整備した比叡山で、天台宗を学んだ法然さん。が、内乱、飢餓、疫病、地震、天災などで不安と混乱の時代になり、貴族のための仏教、エリート層の念仏は違うと比叡山を下り、現在の知恩院御影堂の近くに移り住み、吉水(よしみず)の草庵を結びます。「南無阿弥陀仏」と称えることで、すべての人々が救われるという専修念仏(せんじゅねんぶつ)の道・浄土宗を開いた、と。これが親鸞や多くの人々の心をとらえたものの、教えが世に広まるにつれ、混乱や旧仏教・奈良仏教からの弾圧も大きくなり、四国流罪。5年後に帰京できたものの、草庵は荒れ果て法然も高齢。弟子たちに思いを引き継ぎ80歳で没されたとか。法然物語の本はまだ読んでないけど、五木寛之の小説「親鸞」には、親鸞の先生の法然がたびたび登場。なんにしても、従来型を変えるっちゅうのは、スゴイし大変。法然さん、よーがんばらはったんやねぇ。ナムアミダブツ。

八坂神社。また、雪が降り始めました。

祇園の「スタバ」でひとやすみ。コロナを避けると、どうしても空間重視のカフェになる。もう10年以上も前になるんやねぇ~。休日にツレアイと朝ウォーク・モーニングした思い出。まっ、浸ってても建設的やないし、しばらくは京都ウロウロのコロナ状況、ひとり静かに楽しめる、次の雪景色やカルチャーポイントを、探すことにしよう。