2022.06.03

京都・等持院、新緑の庭園を、静かに楽しむ

京都市北区、等持院(とうじいん)。夢窓国師(むそうこくし)作のお庭を眺めつつ、ちょっと一服。

1341年、足利尊氏(あしかがたかうじ)が、嵐山・天龍寺の夢窓国師を開山に迎えて、衣笠山(きぬがさやま)の南麓に創建された等持院(天龍寺散策のブログ)。臨済宗天龍寺派のお寺。足利将軍家の菩提寺。衣笠エリアと言えば、府立堂本印象美術館・・って、好きでよく訪れるけど・・じゃなくて、そう立命館大学。衣笠キャンパスが等持院のすぐ北側にあって、昔むかし、大学からの帰り、嵐電・等持院駅まで、パンプスのヒール音を響かせ、大人の女の気分に酔いしれて夜道を歩いた20代。今やウォーキングシューズ以外では歩けへん。悲し。

総門を入ると見えてくる、日本最初の職業的映画監督・マキノ省三の像。お墓もあるらし。大正から昭和初期、映画撮影所が等持院境内にあって、方丈(ほうじょう)がロケに使用されたりもしたとか。

山門をくぐって、拝観へ。

まず、ドーンとダルマさんににらまれる。天龍寺派の元管長の関牧翁(せき ぼくおう)筆による祖師像(そしぞう)やて。(祖師・・禅宗やし達磨大師やんね)。方丈(本堂)は、江戸時代に福島正則(ふくしままさのり)が妙心寺の塔頭に建立し、その後、等持院に移築された古建築。映画ロケに使ってかなり破損したとか。商業映画が生まれる時代の勢いが強かったんか、京都では江戸時代建築は古いうちに入らへんかったんか、等持院に理解があったんか・・ともかく、狩野ナントカさんの襖絵もあったらしけど、かなり破損って、どうよ。。もちろん今は修復され年一回の寺宝展で公開してはるとのこと。さて、南庭前の広縁を歩くと、キュッキュッと鶯張り(うぐいすばり)の音。

方丈前の南庭。枯山水が新緑で風情やけど、説明ないんで特に由緒があるわけでも、ないんかなぁ。

パンフ画像拝借。カメラNGの霊光殿(れいこうでん)には、足利尊氏が信仰した利運地蔵尊(りうんじぞうそん・伝弘法大師作)を本尊として、達磨大師と夢窓国師とを左右に、足利歴代の将軍木像がずらーり。

お待ちかね、夢窓国師作、方丈北側の名勝庭園。庭園は東西に分かれてて、これは西側。手前の池は芙蓉池(ふよういけ)。衣笠山を借景にした池泉回遊式庭園・・であったらしけど、今の借景は立命館。それもまたえぇんちゃぁう・・ひいき目、へへっ。お山の上には、足利義政公好みの茶室・清漣亭(せいれんてい)。お庭散策ができるので、お山に上がって、清漣亭あたりからの眺めはと・・

ほぅ~~、すばらしい景色!茶室でもつくろか、って気分にもなるねぇ。さらに、東側の庭へまわると・・

青もみじ満載。草書体の「心」の字をかたどった心字池(しんじいけ)を中心にした池庭。室町時代の手法らし。

ちょうど見頃の、黄しょうぶ。サギといっしょに堪能。

お庭をひとまわりして、書院からの景色を再度堪能。お茶席も空いてるよーだったので、ひとやすみ、することにしました。

お抹茶と芙蓉池をイメージした「芙蓉の月」。京菓子司・笹屋守栄の等持院限定のお菓子。等持院のお庭は、ほぼ年中、なにかのお花が楽しめる穴場。さつき、くちなし、もちろん芙蓉の花も。京都府庁で労働ニュースづくりを担当してるときには、冬の山茶花(さざんか)を撮影に来たよーな。青もみじの風情もなかなか。紅葉にもぜひ訪れたいもの。

なーんて、くつろいでると、「シャッター押してくれませんか」とオッサンが。くつろぎ中やっちゅうねん、冗談じゃねーよ。アルコール消毒もしてへんカメラのくせに、と思たけど、断るととても気まずい時間を過ごすハメになる、と、しぶしぶ。マスクはずしたままやし、会話も無しで、思いっきり不機嫌にシャッター押してやりました。そもそも、シャッター押しは、ほぼ100%断る人です、私。幸せの押し売り、いらん。シャッター押し断る人がいるなんて、普通考えへんでしょ。私もそーやったけど、ツレアイが断るのを見て・・難病でカラダや心がしんどかったんかも、やけど・・なんだか、遺言のよーに、以後、断ることにしてます。断っても、シャッター押し頼まれるたびにツレアイ思い出すんやで。やれやれ。世の中には、自分以外のカラダ、感情、思考を持つ人たちがいるんやな、と常にちょこっと気遣うだけでえぇんやけど。。。オッサン、くつろぎ中スイマセンでした、とストーカーのよーに山門あたりまでついてくる始末。ぼーっと生きとらんと、ちょっとは考えなはれ、ですわ。会話する気もないし完全無視状態。最寄りのバス停に行くと20分待ち。待ち時間にまた災難が降りかかってきたらアカンと、西大路通りのバス停までウォーク。おかげさんで運動になりました。お礼参りしたいくらいや。