2022.05.05

京都・青蓮院門跡。新緑の庭園を静かに楽しむ

「そうだ京都、行こう!」のポスター的ショット。京都市東山区、青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)。

知恩院の山門と広大な敷地を横目に、神宮道(じんぐうみち)の坂を登ると、右手に巨大クスノキと青蓮院門跡の門。

青もみじと巨大クスノキのグリーントンネルを抜けると、ようやく拝観入り口。青蓮院は、平安時代初期に、日本天台宗の祖・最澄(伝教大師)が、比叡山に建てた「青蓮坊」が起源。平安時代末期に、鳥羽法皇が青蓮坊の当時の大僧正に帰依。院の御所に準じて京都に殿舎を造営して、青蓮院と改称されたのが、門跡寺院としての青蓮院の始まりらし。ちなみに、門跡寺院とは、門主(住職)が皇室あるいは摂関家によって受け継がれてきたお寺のこと。現在は天台宗の京都五か室門跡(青蓮院門跡、妙法院門跡、三千院門跡、曼殊院門跡、毘沙門堂門跡)の一つで、古くから皇室と関わりも深く格式の高い門跡寺院である、との解説。粟田御所(あわたごしょ)とも呼ばれ、「青蓮院旧仮御所」として国の史跡にも指定。建物内には、天皇さんや皇族の人らがお出かけされた写真いろいろ。

客殿には、三十六歌仙の額絵と、木村英輝(きむらひでき)氏の蓮(はす)の襖絵。実は、今回の目的は、新緑とこの襖絵。私が青蓮院にちょっと興味を持ったきっかけ。木村氏のHPでは「京都が生んだロックな壁紙絵師」と。もうかれこれ10年以上前、とある京都まちなかのおばんざい屋の窓や壁にデカデカと独特な縁取りの魚や野菜。誰?って聞くと、青蓮院の襖絵も描いてはる人よ、と女将さんが。当時はお寺に興味なんぞなくてスルー。今やまちなかでもしょっちゅう見かける絵。そーや、いっぺん見に行ってみよっ、と。60面もあるらし。さぞかし、気持ちよー描かはったんやろねぇ。

室町時代の相阿弥(そうあみ)作と伝えられる主庭「相阿弥の庭」。粟田山を借景にしてその山裾を利用した池泉回遊式のお庭。うーん、新緑がえぇ感じ。ちょっと惜しぃんが、右手オレンジの霧島つつじが、終了間近だったこと。隣の小堀遠州作の「霧島の庭」も残念。そして・・・

客殿からの眺めが・・そうだ京都、行こう!バージョン。ちょっと古いポスターも貼ってあった。これはGW前の平日ショット。縁側は自由に座れるけど、庭も散策可やし、これからは人が写る、かも。。。

巨大な自然石の「一文字手水鉢(いちもんじちょうずばち)」。太閤豊臣秀吉の寄進だとか。春先には、美しく咲き誇る紅梅が手水鉢の水面に映るらし。それにしても、みな、お賽銭投げるの好きやなぁ。。これじゃぁ、紅梅も甲斐ないやん。

宸殿まえのお庭もステキ、って眺めてると、オッチャンが枯れ葉のお掃除開始。これも風情あるけど、新緑シーズンは苔緑のが。オッチャン見ーひんかったら良かった。気を取り直して・・奥に見えるのも、巨大クスノキ。

青蓮院と門前の巨大クスノキは5本。京都市登録天然記念物。12世紀末に親鸞聖人(しんらんしょうにん)が植えたとの伝えもあるけど、それほど古くは無いのが通説のよう。ともあれ樹高26m越えのもあり、かなりな樹齢なのに、今なお力強い枝をビヨ~ンと伸ばして、こんもりと新緑を盛ってます。

親鸞聖人の幼き姿の童形像あり。青蓮院が最も隆盛を極めた、平安末期から鎌倉時代の間に、第三世門主・慈圓(じえん)=慈鎮和尚(じちんかしょう)は、4度天台座主をつとめ、当時まだ新興宗教であった、浄土宗の祖・法然上人や、浄土真宗の祖・親鸞聖人にも理解を示し、延暦寺の抑圧から庇護。特に、親鸞聖人は慈圓門主のもとで得度したため、青蓮院は同宗の聖地の一つとのこと。得度の折に剃髪した髪の毛を祀る植髪堂が、境内の北側にありました。

出口近くの車寄せ。振り返ると、青もみじと巨大クスノキのグリーンコンビ。爽やか~~。

ところで青蓮院には、日本三不動の一つ「不動明王二童子像」=青不動・仏画(国宝)があって、本堂には小さな複製安置。で、東山山頂の飛地境内、将軍塚青龍殿(しょうぐんづかせいりゅうでん)に、国宝の青不動を安置してるので、徒歩の方は、ここから東山トレイルで約30分と案内あり。山登りは、とてもムリムリ!!。けど、これ見んと完結せーへん、のなら、車でお出かけしてみよっと。京都市内を一望できる大舞台もあるらし。将軍塚って、昔むかし誰かの車で夜景を見に行った記憶。明日は晴れらし。GWの前にひとっ走り。。