2022.01.11

比叡山延暦寺へ。伝教大師・最澄、1200年の大遠忌

11月下旬、比叡山へお出かけ。なんでも、2021年6月4日は、日本天台宗の祖で、世界文化遺産・延暦寺を開山の伝教大師・最澄(でんぎょうだいし・さいちょう)が亡くなって1200年目らし。特別拝観をちょっと覗いてみようかと。比叡山30年ぶりくらい、やろか。

混雑を避けて、紅葉も終盤の平日。比叡山ドライブウェイから見た琵琶湖。標高850mの比叡山。秋が一足早いとはいえ、まだまだ色づきの残る山なみ。琵琶湖中央に突き出す浜に、柱のようにポツンと建つ大津プリンスホテル。働く女子時代に、週末ホテルのリフレッシュ泊でお世話になったとこ。リタイアしてからはとんとご無沙汰。だって・・ストレスないも~ん。給料も出ーへんのにムダ遣いはアカン。

突然の延暦寺や最澄への興味は・・本。きっかけは9月にお出かけした京都祇園の小さな美術館「ZENBIー鍵善良房ー」。山口晃氏による五木寛之の新聞連載小説「親鸞(しんらん)」の挿画の原画展示。(ブログでも紹介)。ずらーりと展示されてて撮影OKなのに、よーわからへん。この新聞読んでないし親鸞もよー知らんでは、ちと悔しい。京女としてこれはイカンと、遅ればせながら本読み。浄土真宗の開祖、京都生まれの親鸞聖人、幼くして両親を失い、9歳で出家して比叡山天台宗の僧侶に。比叡の山で猛烈な修行をするも、煩悩多き心から救われる道を見いだせず、比叡山を下りて京都のまちなか六角堂へ毎夜通う、100日間の参籠(さんろう)を開始。そこで浄土宗の開祖、法然上人(ほうねんしょうにん)と、のちに妻となる女子と出会い、絶対の幸福に救われた、とか。フムフム。。比叡山から六角堂の往復てスゴっ、何キロあるんや。みなあこがれて一旦は比叡山へ入るのに、イマイチ違うなぁ、とみな下りてきてしまう比叡山って、なんでなんやろ。まあ、織田信長に焼き討ちされてるし、信長びいきっちゅうわけではないけど、毎日見てるわりに京都市民がそんなに親しみを感じてるよーでもない比叡山。そこで最澄の生涯を綴った「雲と風と」永井路子著を購入。小説ではないけど評価が高い本でお勉強。最澄はんは滋賀県の生まれ、延暦寺も滋賀県やし。フムフム・・。おっ、ちょうど、最澄の1200年遠忌のイベント中・・って、それより、東京国立博物館で特別展「最澄と天台宗のすべて」開催中で、年明けは九州と京都の国博へと巡回するらしい・・うーん、九州行きたーい!! とりあえず、比叡山へ行かねば。

京都まちなかから滋賀県大津へ抜ける山中越えから、比叡山ドライブウェイへ。紅葉終盤の景色を眺めながら、東塔エリアの駐車場へ。歩道脇には、比叡山ゆかりの僧侶たちのパネル展示。最澄の幼いころとか。

こっちは、親鸞聖人のエピソード。こんな場面は五木寛之の小説にはなかったよーな。まっ、いちいち読んでたら身が持たんので先へ。

たくさんの宗祖が巣立っていった延暦寺。各宗各派の宗祖を祀っている大講堂内にもパネルたっぷり。つい見入ってしまう・・結構疲れます。

残念ながら、延暦寺の総本堂・国宝の根本中堂(こんぽんちゅうどう)は大改修中。数年間はかかるやつ。以前、療養中のツレアイとの九州旅行で、国宝・姫路城の大改修の垂れ幕に、数年先の完成予定が書かれてるのを新幹線から見て・・・あーいうのはセツナイね。姫路城見るたびに思い出しちゃうし。。まぁ、今回は大丈夫。10年先でも20年先でもきっと私は見に来まっせ。ハハッ。根本中堂は、それこそ若かりし頃にツレアイと訪れて、その大きさに、とてもビックリ、お寺ってお金あるんやねぇと感心した思い出。改修中でも中に入れて1200年消えない「不滅の法灯」をありがたく鑑賞。大きな国宝の大改修現場って結構好き。京都駅前、東本願寺の大改修もそーやったけど、ものスゴデッカイ屋根や大きな美しいカーブが間近で見られて。宮大工さんでも作業しててくれたら、比較対照のデッカサや歴史の深さが実感できる気がする。

特別拝観の「法華総持院東塔」。最澄が全国6か所に建立した宝塔の中心らし。本尊の大日如来をはじめ五智如来が祀られてました。

特別拝観の「戒壇院(かいだんいん)」。開創してから初めての特別公開だとか。これこそ、最澄悲願の仏教の人材輩出の場、最澄の志を受け継ぐ僧侶が、戒律を受けて正式な僧侶となるための儀式が行われるお堂、とのこと。中は・・・ほぼ真っ暗でナンも見えへんかったけど。公開されてるのにこんなに暗い場所って、長野県善光寺の胎内めぐり以来やわ。けど、この暗さが、悲願って感じでええのかも。先の本「雲と風と」によると、とても真面目な最澄、桓武天皇の奈良の都から京都への遷都にとても尽力したものの、僧侶が大きな力を持つ奈良方式が嫌だった桓武天皇は、最澄が提案した僧侶人材育成システムになかなか承認をしないまま最澄は亡くなり、最澄の死後に弟子たちに承認を与えたとか。また、遣唐使船にも乗ったエリート最澄は、のちの真言宗の開祖・弘法大師空海とも同船。唐で十分に学ぶ時間がなかった密教を、年若く完全にマスターして帰国した空海に、ちょっと邪険にされながらも、何度も教えを請いに行くとか、ほんまに努力の人。ちょっと一途過ぎるよーな。けど法然、親鸞、そして日蓮やらもみな、延暦寺で学んだからこそ、自分の目指す道を切り開いて進むことができたんやろね。ひとりでがんばった最澄にエールを!

比叡山は広すぎて東塔エリアだけでお疲れ。奥比叡ドライブウェイの展望レストランで休憩をと思たら、本日貸し切りの札。伝教大師像の写真をとって引き返してもフル料金。見逃した、西棟エリア、横川エリア、次回は滋賀県側の入り口からと思たけど、季節のガーデンミュージアムや改修後の根本中堂も・・なんて言うてると結局どっから入ってもいっしょ。とりあえず、九州大宰府にある国立博物館へ出かける計画でも立てることにしよう。