2022.05.03

閻魔大王さんとこへ、ご機嫌うかがいに~京都・六道珍皇寺の薫風寺宝展

「六道(ろくどう)さん」で知られる、京都市東山区、大椿山・六道珍皇寺(たいちんざん・ろくどうちんのうじ)。小野篁(おののたかむら)さんが現世と冥土とを行き来した井戸などが、GW期間中に特別公開。お出かけしてみました。

臨済宗建仁寺派、創建は平安時代前期の836年、って、あれっ?。臨済宗って、もうちょい時代が後ろだったよーな。解説によると、諸説あるらしけど、弘法大師・空海の師にあたる慶俊僧都(きょうしゅんそうず)の開創で、この珍皇寺はもと真言宗。平安・鎌倉期には多くの寺領と伽藍をもってたけど、中世の兵乱にまきこまれ荒廃。南北朝期の1364年に、お隣の建仁寺の住持であった聞溪良聰(もんけいりょうそう)により再興・改宗されて現在に至る、だって。なーる。お盆の六道まいりや、小野篁さんについては、2年ほど前にブログで紹介(六道まいりブログはこちら)。

さて、新緑の境内。右手の朱色柱の建物の中に「迎え鐘」。うまい具合に、木の二股の間から鐘をついてる人の手元が見える。で、写真にはないけど、この右手鐘楼の手前にお堂が2つあって、常設の閻魔堂(篁堂)(えんまどう:たかむらどう)には、閻魔大王坐像(小野篁卿作・平安時代)と小野篁卿立像(法橋院達作・江戸時代)、そして特別公開、本尊・薬師如来坐像(平安時代・重文)が、ビニール越しにご対面できるカタチ。

すべてカメラNGにつき。。。クリアファイルの閻魔さんの、にらみ、なかなかえぇでしょ。

奥の本堂は有料600円。「熊野観心十界曼荼羅図」(江戸時代)などを見ながら庭へ。写真の左手のしめ縄が「小野篁公、冥途通いの井戸」。篁さんは、嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚。文武両道に優れ高位にまでなったけど、自由気ままな性格で奇行も多かったらし。またなぜか閻魔王宮の役人ともいわれ、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていたという奇怪な伝説が、平安末期ごろには語り伝えられ、室町時代には定着してたとか。

近年、冥土から帰るのに使った「黄泉がえりの井戸」が発見された、とのことで、上の写真、石灯籠の奥に小さく見える案内板に導かれて行くと・・

黄泉がえりの井戸あり。ほほぅ。。さらに、本堂内に戻ると、カラフル大屏風の展示。京都の絵描きユニット、だるま商店作「六道遊行絵図屏風」。4扇で構成。

左が地獄。閻魔さんがにらみをきかせ、ドロドロした黒に血の赤が飛び散る。

右が極楽。いかにもな天使のわっかや羽や、地蔵菩薩さん。上の右と下の左・・要するに真ん中の2扇が、篁さんの活躍や珍皇寺の様子らし。黒装束の篁さんが、あっちこっちで、ちょこちょこ動いてはる。白い橋には人の一生が描いてあるのかな。黒い人は現世の人。白い人はあの世の人とか。解説聞くと楽しいかも・・楽しくはない、かも。

さらに、公開の目玉が、2年かけての修復作業を終えた仏画「釈迦三尊十六善神図」(鎌倉期)の初公開。小さなカードの写真(左下)ではよー見えへん、けど。。蓮座にすわる釈迦如来を中心に、その左右には、文殊菩薩と普賢菩薩。下の方には、菩薩の四方の守護神、多聞天、持国天、広目天、増長天の四天王なども描かれてたけど、実物でも、あんまし、よーわからへんかった。なので、ありがたい気持ちをお持ち帰りしよーと、修復完成を祝した記念朱印「釈迦三尊オリジナル朱印」(写真上)2000円を購入。早朝の清水寺ウォークの帰り道に通らせてもらってる、六道の辻・六道珍皇寺門前。いつか、篁さんに出会ったら、冥界へも連れて行ってもらえるかもしれんし、ねぇ~~。冥界旅行が2000円では安すぎるか。