2023.12.24

宮崎県・日向市美々津、神話と廻船問屋のまちなみ~京女のひとり旅57

「そこ座ってください。はいっ、写真撮りますよ」。220円の日向市歴史民俗資料館。説明終わりにカメラ貸してと案内してくれはった女子に言われて。宮崎県日向市美々津(ひゅうがしみみつ)は、重伝建(じゅうでんけん)・・国の重要伝統的建造物群保存地区。先にブログ紹介した師走の九州・宮崎県延岡へのお墓参り旅、ランチ編の、次はちょっと寄り道編。

カシャカシャ・・「何枚も撮っときますね。私らは、もー恥ずかしワー」いやー、私も恥ずかし歳でっせ。せっかく撮ってもーたし小っちゃいやつ貼り付けます。

突き当り、白壁の手前のグレーグリーンは日向灘に面した、美々津港。九州山脈から約70kmの耳川(みみかわ)の河口です。

今は漁港やけど、この美々津港、「日本海軍発祥の地」。日本書紀(にほんしょき)の建国神話にある神武東征(じんむとうせい)・・初代・神武天皇(じんむてんのう)が、ここは国を治めるには西へ寄りすぎてる。東の方にはもっと美しい国もあって国をひらこうとしてるやつもいるらしけど、自分こそが天下を取って都づくりをしよう・・・を決意し出発した「お船出の地」(おふなでのち)。東征ルートは、日向~北九州~広島~岡山~大阪~和歌山まわって、最終は奈良の橿原(かしはら)で即位して神武はんが初代天皇になったと、日本書紀や古事記にあり。天皇さんになる人が初めて船出しはったんやから、いわゆる日本海軍の原点でもある、と。

デッカイ美々津のむかしまちなみ模型見ながらお話聞きます。

虫籠窓(むしこまど)や京格子、通り庭風の土間など、京都や大阪の町家づくりを取り入れた美々津。江戸時代初期、高鍋(たかなべ)藩領の重要な港町として繁栄。明治大正期、廻船業者が千石船を出して、耳川上流域の山の材木や木炭を大阪方面に出し、関西やらの特産・美術工芸品を持ち帰ってウハウハ。備後屋、明石屋、播磨屋、泉屋・・時代劇みたいな屋号オンパレードがスゴさをもの語るけど、今は昔。大正期の国鉄日豊本線(にっぽうほんせん)開通で廻船業は衰退。

展示されてる千石船の模型。帆船は味わい深いけどねぇ。。この資料館は当時屈指の廻船問屋「河内屋」を修復したもの。平日の午前、資料館もまちも貸し切り状態。ずーっと美々津在住の女子から美々津愛たっぷりの説明。「どちらから」「京都やけど今日は延岡から・・」「千石船は京都のキレイな友禅とかもいっぱい運んできて賑わったんですよ」。そういえば義母も「京都きもの市」が延岡にやって来るとワクワクして「京都へんは、いいもんが、いっぱいあるっちゃねぇ~」言うてはったわ。

お休み処・美々津まちなみセンターで「お船出だんご」&珈琲。美々津は毎年9月に「おきよ祭り」で賑わう。早朝発の神武天皇を見送るため、家々を「おきよ、おきよ」って起こしてまわったこと由来。かなり人間的。なんでも翌日船出の予定が風の都合で前日に急遽変更。あわてた人々がお祝いに用意してたもち米と小豆を全部一緒に入れて急ごしらえしたんが「お船出だんご」。今や美々津名物。「まちなみセンターで食べれるし、ぜひに」と資料館の女子におススメされて。センターも旧家を修理復元してちょこっとカフェ営業。センターの女子も「どちらから」のあと・・「先日親が京都観光したら外国みたいって。外国人だらけでビックリ。ふふふっ。けど、有名なお寺の紅葉がいっぱい見れて良かった~~、京都はスゴイって」喜んでくれはったら京女もうれしい。マウント取りたいわけやないけど、どこ行っても京女は会話に不自由せーへん。お出かけカルチャーも楽し。働く女子のティーチャー、好きやわー。

美々津の各家庭の郵便受けには、カワユイ神武天皇の「おきよ丸」。古代船は宮崎県の西都原古墳群(さいとばるこふんぐん・・宮崎県あたり「原」の地名はたいがい「はる」と呼んではります)から出土した埴輪舟のカタチやて。

日向灘。太平洋も結構、波高い。サーフィンに最適みたいで、写真ではよー見えへんけど、波間に頭がいくつも浮かんでます。駐車場にも他府県ナンバーずらり。

日向岬には、馬ケ背(うまがせ)って景勝地があって、延岡帰省したときは、高千穂とともに、このダイナミックブルーを見て、ぼーっとすること多いんです。気ぃ抜いたらダイブしそーな絶景。今回は、空があんましブルーやなかったんで美々津カルチャーの方をチョイス。この写真は数年前のやつやけど、冬の太平洋ブルーってほんまステキなんすよ。また、えぇ写真取れたらご紹介することにしましょうね。